雲井龍雄のこと②

2016/05/18 (Wed)
雲井龍雄のこと②歴史資料の多くは勝ち組の都合で記述されたものが殆どであり、明治維新は「勝てば官軍」の「薩長」側からの視点を史実として教育に取り入れ伝えられ、その事を疑問視する国民の声はついぞ聞かれなかったが、昨今、原田伊織著「明治維新という過ち」をはじめ、明治維新に疑問を呈する動向が見られるように、敗者側からの視点で物事を捕らえると、これまでの歴史観は根底より覆るもので、薩長中心の明治政府と、それを継承している現在政府の施政を雲井龍雄の視点から眺めるのも一興である。
戊辰戦争で薩長と戦った米沢藩の雲井龍雄であるから、薩長が執り行う政(まつりごと)に批判的であったことは頷けるが、果して斬首までして口を封じなければならない程の行動は何であったのかは、未だに謎が残るところだが、彼が諸藩に送った「討薩檄」がその一因であることは考えられるので、その要約を掲載し、一読されんことを願う。(goo Wikipediaより転載)
◆討薩檄
薩摩は、最初攘夷を主張して、幕府の開国を貶めて批判していたのに、自分が権力を握ると開国を主張し始めた。なんの一貫性もなく、当初攘夷を主張していたのは自分の野望を遂げるためであった。この罪を問わなくてはならない。
日本には、海外からの危機はあるといっても、日本固有の制度や歴史がある。しかるに、薩摩が専制権力を握ってから、あまりにも急激で無理な改革を推し進め、長い歴史の中で積み重ねられてきた制度や慣習を破壊している。その罪をどうして問わずにいられよう。
薩摩は、公家や皇族を捨て去り、自分の意に沿わぬものは排斥し、諸国の得たいの知れない人々の中で、自分たちにつき従うものばかりを出世させて取り立て、下克上の綱紀紊乱の世を招いている。その罪を問わずにはいられない。
鳥羽・伏見の戦いも、もし本当に正当な戦争を起こそうとするならば、天下の公論を定めて、罪を明らかにしてから起こすべきなのに、急に錦の御旗を利用して策謀によって幕府を朝敵に陥れて戦争を起こし、諸藩を脅迫してさらなる戊辰戦争に駆り立てている。これは、天皇の意思を自分勝手にコントロールして私怨を報いようとしている邪な謀略だ。その罪を問わなくてはならない。
薩摩の軍隊は、東日本に侵攻して以来、略奪や強姦をほしいままにし、残虐行為は限りない。しかるに、官軍を名乗って、それを太政官の規則と称している。これは、今の天皇に暴君の汚名を負わせるものだ。その罪を問わなくてはならない。
諸般の、親子兄弟同士のいろんな大名たちを戦争に駆り立てさせている。そのことを、飾り立てた言葉で正当化しているけれど、これこそ最も残酷な道徳に反することだ。その罪を問わなくてはならない。
上記のことから考えれば、薩摩のなすところは、幼い天皇を利用強制して邪悪な政治をし、天下を欺き、残虐をなし、道徳を破壊し、長い伝統や制度を破壊している。奥羽列藩同盟はこれを座視するに耐えないので、再三朝廷にその不当を訴えてきたが、天皇にはその旨は届かなかった。もし、手をこまねいて薩摩を討たなければ、天下はどうして再び晴れることがあろうか。
よって、勝ち負けや利害を問わずに、この義挙を主張する。天下の諸藩は、もし本当に忠や誠を持っているならば、奥羽列藩同盟に協力して、日本のために薩摩を倒し、失われた道義を復活させ、万民を塗炭から救い、外国からの侮りを絶ち、先祖たちの心を安んじて欲しい。もし、薩摩に篭絡されて、何が正義かも弁えず、薩摩を助けるような邪悪な徒がいるならば、軍も規律があり、許すわけにはいかない。天下の諸藩は、勇気ある決断をして欲しい。
【この項完】

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