老生ははっきりと議会運営に米沢市政の退廃を見た。

2012/09/30 (Sun)
27日、米沢市議会最終日の傍聴席には数社の新聞記者の姿が見えただけの、閑散とした9月議会であった。長々と続く委員長報告に議員たちはともかく、安部市長の退屈で身の置場がないような態度がひときわ目につくものだった。
さて、議会の最大テーマは安部市長自らが議会を無視して単独でつくりあげた「2千万円強の無駄金の処理法」についてであった。
平たくいえば「この責任は全て市長である私に責任がある」と言い切った以上、自分の手で処理すべきものであろうが、10月分の市長給料から18円也を差し引いただけで済ませ、残りを市民に持たそうとする議案であった。が、これを不服とした山村明議員から反対意見があり、議会の倫理感が問われ、米沢市政の未来を問われる議案であるとして老生は息を飲んで見守った。
たった1名の反対意見陳述の後、採決は山村明・鈴木章郞両市議を除く市議の賛成を持って「給料から18万円を差し引く」だけで、市長が市に無断でつくった「無駄金」の処理方を「市民の税金」をもって処理することが可決されたのである。
この採決が市民の理解と納得を得られるとは思えないのだが。
老生はこれをもって悪政といわずして悪政の定義とはなんぞやと訴える。
この議決を議会の傍聴席から見つめ「田舎町の議会とはいえ、なんと議員たちの倫理感の低さよ!」老生はためらわずに慨嘆した。
「市民をなめるにもホドがあるぞ!」老生ならずとも可決の場にいた市民なら五臓六腑、腹の底から怒りが込み上げたことであろう。
老生はこの決議に住民監査請求をもって市政を正すが、結果は行政のポチである監査委員、高野欽一監査委員・佐藤弘司監査委員によって「却下」される運命にある。
鬼の会は過去に3度「市民の財産である資源物を特定の業者1社に無償提供する安部行政は不当である」と住民監査請求を行い、全て却下であったが当会を支援するマスコミの力も味方し、しがらみの安部行政も遂に無償提供から有償売却へとせざるを得なくなった。
その結果、現在まで4億3百万円が市財政を潤した。
米沢市政に正常化を取り戻すために「却下」の後は「住民訴訟」を起こす気構えである。
かつて議会は100条委員会を設けて、市長の不当性を徹底解明して市民に知らせるべきだとして「議会の良心を広く市民の識る権利に答えよう」と発議したがタッタ1票の差で否決された現実があったばかりではないか。
その元気さえも忘れたかのように、つまりは「無駄金」の処理は市民の負担とすることに決めた議会の体たらくを市民はどのように受けとめるのであろう。
わずか数十日の間に、議員たちの市長擁護に考えが変わってしまった「裏側」には何があったであろうか。
単なるパフォーマンスであるか?
権力の行使であるか?
考えたくはないが「金の力学」が動いた証しであるか?
時の権力者たちに、火あぶりの刑に処されたジャンヌタルクが何故に500年を経て「フランスの救世主」だったとしてローマ法庁に迎えられたのか?
歴史を瞑想してみる価値があろうというものだ。
米沢市議会に倫理感が薄れてしまった現在、米沢市民は行政の何を信じて暮らしていけばよいのか。
市民よ怒れ!怒れ狂ってこれら一連の不浄をなじるのだ!
鬼の会は「住民訴訟」で司法の判断を仰ぐ所存である。

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