人間はとかく「権威・権力」、まして「金のもつ魔法」には無力なものだ。

2012/10/03 (Wed)
来年の誕生日で80才を向かえ、昭和8年生まれの現天皇と同世代の激動の昭和を生き抜いてきたから、政治家の善し悪しには敏感なものがある。あと2~3年も戦争が長引くようであったら老生も南国の孤島で一片の骸骨になっていたであろう。
「失うもの」が何もないという少年時代を過ごして来たから、人に媚びるような精神状態ではなく中学の卒業記念に「一直線に生きる」と書いた文集が今も手元に残っている。
年甲斐もなく、安易な妥協もできず面白くもない年寄りだと思われて来たに違いないが、物事を判断するにあたって「事の是々非々」にブレることのなかった自分が、たった一つの自慢かも知れない。
数日前からブログに寄せられてくる安部市長「リコールに賛成!」の声が増えているが熱意のほどを「一粒の麦運動」として地道な活動に期待するほかはないのであろう。
安部陣営には「金力を武器とした権力者」の存在と「金力にだらしなく屈折する人物たち」がいるということを知らねばならないからだ。
だが、市民が大挙してリコール運動を本気になって起こすならば「蟻の大群によってライオンが倒される」という諺があるように米沢の市政を許に取り戻すができるであろうが市長をリコールするなどの運動はよほどの決意がなければ、田舎町での成立した事例はゼ口に等しいものだ。
まして対抗馬の可能性も無く行動を起こしても徒労に終わるであろう。
考えてもみるがいい、共産党の議員といえば権力に臆せず政治的な不条理に敢然と闘ってきた歴史があるものだが、当市の共産党議員は市長の実弟として、すべからく市長擁護の立場にある。
止まれ!安部市長はアスペルガー症候群に罹患していないと医師の診断書をもってはっきりと示すのが市の責任あるトップがとる態度というものであろう。
かつて30年前、米沢市を二分する市長戦があった。
長市長のあまりにも無気力な市政に経済界が反発して起こした市長選である。
一回目は負けたが、二回目はわずかに18票の差で髙橋幸翁が勝って20年間市政がつづいて過ぎた。が、ここにきて現在の市長が唱える「自由の風」は市民には一切吹かず、自分に勝手に吹きまくる風である。
このような暴挙を許すような時代ではあるまい。今こそ市民が怒り狂うべきであろう。
「市長になってみたかった」という単純なアスペルガーによる発想も今では市を揺るがす悪政となって噴出してきた。
チェックする議会も朝飯談義で是非の判断にも狂い、就職先である議員の椅子だけは手放すまいと支持者に駄弁を奮うだけの毎日である。
市政のために県庁にも訪れたこともない市長が、ポポロビルから立退かない居酒屋本部に社長を訊ねていったが社長に合えずに玄関払いされて帰ってきた安部市長の情けない姿は米沢市民全体の恥とはいえまいか?
かつて「市長が会社を訪問するとなれば例外なく会社の代表者が出迎えてくれたのだ」と得意気に話していた市長だが、玄関払いされて帰ってきた現実をどう説明するというのだ。

安部市長の責任を問う≪ | HOME | ≫老生ははっきりと議会運営に米沢市政の退廃を見た。
コメントフォーム

この記事へのトラックバック

この記事のトラックバックURL
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)