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米沢の歴史 ①

kage

2015/09/30 (Wed)

米沢の歴史 ①

 観光が本市の大きな収入源である事に疑いは無いが、観光客を引きつける要素に「歴史」の占める要素は大きいことから、当地米沢がどのようにして形成されたものかを中学生にも知ってもらいたく、「三条かの記念館」にて市内8中学校からの生徒さんと、引率の先生60名程の参加による講演会を9/26開催した。講演会
 講師は九里学園高等学校教諭の遠藤英先生にお願いしての講演だが、先生は「直江兼続がつくったまち米沢を歩く」と題する著書を自費出版し、米沢の歴史については卓絶なる見識をお持ちであり、先生曰く「米沢城は天守閣を持たない平城でありながら、城下町の作りその物が要塞の機能と目的を持つ、全国でも珍しい構成となっているが、現在でも道路は殆ど当時のままである」との語り口から始まり、その町の持つ目的と機能の説明にはいると、生徒さんも興味津々として目を輝かせていた。

 米沢は上杉の城下町とは言うものの、京都や金沢などと比較すると当時の建物は殆ど残っていないことは、江戸時代から火災の多い町で、特に大正時代二度の大火により古い建物は殆ど焼けてしまったことによる。
 では、如何なる方法にて歴史による観光客増員を図れば良いかと?と考えた時、小生は常日頃から「米沢物語の発信」と思っている。

 上杉の米沢は、「滅びの美学」(田宮友亀雄著)・鷹山公の「質素倹約」の土地柄から京都や金沢のような華やかさは無く、昔の名門上杉家が「如何にして徳川幕府の迫害から生き延びて来たか」の歴史が今に息づく町であり「米沢物語」は当然にしてネガティブ要素の多い内容となる。

 具体的一例を挙げれば、120万石の大大名が30万石に減俸されたにも関わらず兵を減らさなかった事による苦悩は、「武者道は無者道」(参考ブログ)の如く、石垣町の「武家屋敷」と「西條天満公園の武者道」に結びつくし、いざ合戦の時には原方衆がどの様にして入城したかの「御入水」の機能などは、他の観光地には無い「面としてのまちなか回遊」として利用出来る要素がふんだんにあり、これを利用しない手は無いが、この事を米沢の観光に役立てようとして、観光課が公募する「観光振興委員」に応募すれば「誤字脱字が多い」「米沢市民として相応しくない」との理由で小生の意見は抹殺され、何の根拠も無いのに「舘山城は伊達家三代が関わった居城」などと称して歴史公園にするという「歴痴の安部」には困ったものだ。
 

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