辞任という責任の取り方と道の駅

2015/09/28 (Mon)
辞任という責任の取り方と道の駅新国立競技場の白紙撤回問題で下村文科相が引責辞任する事となったが、この問題を検証した第三者委員会は①「国家的プロジェクトを遂行するシステム全体が脆弱で、適切な形になっていなかった」②「既存の組織やスタッフで対応し、工事の専門知識や経験のある職員が足りなかった」と指摘している。
国家公務員でもこの程度の能力であり、仮に計画が失敗しても金銭的には誰も責任を取らず、せいぜい役職辞任でお茶を濁して負担を国民に押しつけるのが公務員の性(さが)である。
米沢市の新文化複合施設建設も「ポポロビル買収失敗・大幅な完成遅れ・多額の追加建設費」が生じた原因は、前述の①②と同じだが、安部市長は文科相と違って辞任を行なわず、イケシャーシャーと「責任を取るとは続投する事」と四期目の市長選出馬を表明した。
もし彼が当選するのであれば、「如何に出鱈目な建設計画を行なっても、市民は認める」と理解し「新・道の駅」や「市立病院」の建設計画は新文化複合施設建設にも増して杜撰なプロジェクトとなるだろう。
市が作成した「新道の駅」の基本コンセプトは「オール米沢(置賜)を体感・創造・発信する道の駅として、米沢はもとより置賜の新たな魅力を創造し、その魅力を発信していく場」と定義して置賜全域への波及効果を謳い、2市5町に声がけを行なったが、何処からも無視されて相手にされなかった。関連記事
この様に安部市政12年の結果、置賜に於ける米沢市の立ち位置は他市町から軽んじられ、スタートから暗雲が立ち込めている。
又、このプロジェクトの所轄は産業部商工課であり、部長が山口昇一職員である事に問題が有る。
彼は、昨年度まで企画調整部の部長として新文化複合施設建設を杜撰な手法で推進し、度々の増額後に「これ以上の増額は有りません」と市民に説明をしておきながら、舌の根の乾かぬ二ヶ月後に4億円もの追加予算を計上したことから、議会でその件を追求されると「記憶に御座いません」とトボケた御仁であることは、正に①「置賜広域プロジェクトを遂行するシステム全体が脆弱で、適切な形になっていない」②「既存の組織やスタッフで対応し、工事の専門知識や経験のある職員が足りない」を彷彿する陣容だ。関連記事田沢

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