問題は「生活環境部課の行政能力の稚拙さと市民無視」感覚だ。

2006/05/23 (Tue)
問題は「生活環境部課の行政能力の稚拙さと市民無視」感覚だ。久しぶりの休日に「イカそ-めん」を目当てに 初めて海峡トンネルをくぐり抜け函館に足を伸ばした。肝心の「イカそ-めん」はイカ漁が6月からということで空振りにおわったが、帰る早々メンバーが米沢新聞掲載の「読者の声」と「耳寄りなニュース」を持ってきた。
読者の声は「産業廃棄物処理場問題」を取り上げた当該部課の能力の稚拙さと、安部市長の指導力の無さを訴えるものだった。
環境生活部課との関わりが強い「鬼の会」だけに興味深く読んだが、次いで洩らした当該部課と武田誠県議の癒着構造に強い関心を持たされた。
武田誠県議に関しては、以前から「100万円の献金で一般廃棄物の許可がおりる」という奇っ怪なウワサが流れていた。噂の出所が武田誠関連会社の社員の口端から出ていることが重要なポイントだった。
生活環境部課が頑なに「一般廃棄物収集運搬業の許可」を出さないことから武田誠への献金相場が上がり「300万円」の高値になっているというものだ。
米沢市役所の職員が業者にいった「鬼の会のバックで資金を出している人物はだれだ」「市の仕事をもらっている業者は、鬼の会とは無縁であること」を言い渡されたという。「鬼の会はお上に逆らう不埒者ッ!」とのレッテルが職員の間ではペッタリと貼られているらしい。
だからといって職員全体がそうでないことを信じているからこそ、本会の活動の意味がある。
たしかに文化音痴の市政が20年間続いた。その集大成が伝國の杜の建造物であり展示物のお粗末さである。
念願通って市長の座についた安部市長だが、これまた驚くほどの能力欠如はどうしたことか。
その証明こそが現役部長の大量退職にあらわれている。「あの市長相手にやってらんないよ」が、定年を前にした退職部長らの本音らしい。
米沢市よ、中央シャッター街の開発に何度挑戦しても「無駄なことはムダ」だ。規制緩和政策の鬼っ子がシャッター街であることに思い至れば、何処の地方都市の中心街もシャター街に浸食されているのだ。人口30万函館市も例外ではない。異なるところは観光事業に行政の重点を置いていることだ。
米沢市は上杉の城下町としての風貌に乏しい町並みでありながら今もって「歴史の町」として観光客の誘致を考えている体たらくな行政感覚である。行政トップに文化の素養と感覚が育ってこなかった歴史が市を衰退してきたことは紛れもない事実であろう。
これは取り返しのつかない米沢市民の不幸の歴史であることは「上意下達」の思想が、今もって市民のDNAに深く組み込まれているのであれば救いようがない。
「お上に逆らうことが悪」であれば本会は悪に撤しよう。米沢市民の日常生活の中に封建時代の思想をよしとする風潮が見える以上、行政や議員らの特権思想や行動に対して徹底した逆らいをつづける存念である。
本会は活動資金を他に求めない市民活動団体であることを行政は記憶せよ。本会のバックや資金の出所を詮索する市職員らの貧しさは「己れ自身の貧しさにある」日の丸親方的生活心情に毒されている左証なのであろう。奢りの時代は短命であり変遷はことさらに激しい。奢る平家や徳川の天下はいかほどであったろう。まして、多少の議員特権をもつ武田誠議員にどれほどの行政操作ができようぞ。
環境生活部課に市民が求めるものは正常な行政感覚であり、行政エゴではない。エゴだけが突出し、偽言を弄し許可を願う業者どころか議会までも騙してきた部課の所業だ。市民の怒りがいつ爆発してもおかしくはないのだ。彼らの虚言は本会が証拠を握っている。

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