安部三十郎施政の疑惑 ②(舘山城その2)

2015/08/23 (Sun)
安部三十郎施政の疑惑 ②(舘山城その2)調査報告書を見て驚いたのは下図であるが、調査したのは図左の赤線で囲われた部分なのに、いつのまにか一の坂からが舘山城であると書き換えられている。
にも係らず、赤線囲み部分以外に調査報告記載の無い不自然さは、これまで主張してきた「舘山発電所跡は伊達氏関わりの城」とするには根拠が無く、小生等か主張する一の坂からが「伊達氏関わりの城」と記載しなければ、辻褄が合わなくなった証左で有る。
この様な出鱈目調査に約6千万円が投じられた。

伊達政宗は桑折西山城より米沢に移ったが、西山城と舘山城の大きさを比較すると下図のようになり、その所帯からして舘山城は小さすぎるし、御成山から丸見えの城など、伊達政宗ともあろうお方が作る訳が無いことは、少しでも歴史をかじれば分かろうと言うものだ。

では何故、舘山発電所跡を伊達氏関わりの城としなければならなかったか? それには次の風聞が有る。
「舘山発電所跡地の南と東に土地を所有するY氏とO氏は、安部三十郎が歴史に疎いことから結託し、安部に伊達政宗説を吹き込んだところ、市は早速発掘調査に入ったが、Y氏の土地からは価値ある埋設物が出土しなかったのでY氏は手を引いた。
ところがO氏の土地からは井戸跡などが発掘されたので、O氏は歴史公園として市が買い上げることを願い、安倍の市長選に協力する事とした。」
今年6月、各戸に配った安部三十郎の「市民力新聞」で「これから手がけること」として「伊達家三代にわたる城・舘山城の整備」を掲げ、天満神社と同じ無駄使いをしようとしている愚挙を許してはいけない。

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