安部三十郎施政の疑惑 ①(舘山城・その1)

2015/08/22 (Sat)
安部三十郎施政の疑惑 ①(舘山城その1)米沢市は、平成22年「国宝重要文化財等保存整備補助金交付申請」を国に行い「舘山城跡保存整備事業」として舘山城の発掘調査を行って来たが、調査途中では「伊達政宗の居城」「伊達政宗が築いた石垣発見」等の見解が流布され市井の話題となった。
しかし、この説に「告発状」を米沢市文化課に突きつけて、敢然と立ち向かったのがアマチュア歴史研究家「伊藤正俊氏」である。
氏は歴史に極めて深い洞察心がある事と、伊藤氏の家系が伊達時代以前より田沢の林業に従事していて、幼少の頃より田沢地区の伝承を聞いて育ったことから、「舘山城跡保存整備事業報告書」の出鱈目ぶりを教育長や文化課長に指摘してきたが「素人に何が分かる」と言わんばかりの上から目線対応で、取り付く島の無い事から当会に相談が有り、小生も疑惑解明に荷担したが、調べれば調べる程「出鱈目ぶり」が明らかとなった。
「伊達政宗が築いた石垣発見」と新聞等に公表されたことから、伊藤氏は「石垣の工法が伊達時代に非ず」と新聞各社に連絡をした結果「石垣は上杉景勝時代か」と訂正記事が報じられた事は多くの市民の知るところである。
又、「伊達政宗の居城」説については「一の坂(吹屋敷)看板」との整合性が失われる事を指摘すると「看板の記述が間違っていた」とポスターで覆い隠し、「看板は撤去します」との説明であったので、小生は「伊達政宗の居城」を示す証拠の提示を求めたが、その資料の「不存在」から、看板撤去は行なわれず現存する。(出鱈目ぶりはこの他にも頗る多数有り)




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数々の疑惑に満ちた舘山城発掘調査も、今年3月をもって終わったことから報告書が県と国に提出されたが、報告書の序文に「舘山城跡は、古くから伊達氏に関わる城館として知られてきました。 ・・・米沢市教育委員会委員長 原 邦雄」、「山形県教育庁文化財・生涯学習課の指導・助言のもと・・・」の記載が有り、本文には「伊達氏に関わる城館」で有ることを明示した記載が無いことから、県庁に出向いて担当官である竹田純子主査と面談し、「何をもって舘山城が伊達氏に関わる城館か?」と詰問したが、公務員の同胞意識なのか調査結果荷担の弁に終止し、歴史に対する理解度に疑問を抱かせる会話だった。
(続く)

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