20年来のドカ雪に思うこと。若き群像に期待するもの。

2005/12/24 (Sat)
20年来のドカ雪に思うこと。若き群像に期待するもの。今日は天皇の誕生日である。小生の生まれは天皇より二ケ月早い同年代で、いわゆる「問題の昭和8年組」である。天皇の白髪は増えたが小生の頭髪は未だに黒い。
今更、時代錯誤だと無視されそうだが、どうしても言っておきたいことがある。
戦前の小生らは親の厳しい言いつけによって、通行人の難渋を思い、朝食前に雪を払い道を砿保したものである。自主的というより親から言い渡された作業で「嫌々ながらも」毎朝励行したものである。
範囲は自分の屋敷分が除雪(道つけ)の対象となっていた。自宅前が大通りに面している所は勿論大通りの雪を払い、人が通る小道ですら屋敷(畑など)が隣接している所は、雪を踏み固めて通れるようにしてから学校に通ったものである。
祭日の晴れた日は各家の雪下ろし日となり、朝の挨拶は屋根の上からであった。今はいずれも年老いた戸主たちによる作業となってきた。
若い人たちの姿が見えず、中学生や高校生のいる家であってもこれらの現象が続いている。
小生らは小学の4~5年生から雪下ろしを手伝い、中学・高校生時代は雪下しなどは普段の仕事で、むしろ親たちから任されている役割だった。
校舎の雪下ろしなどは上級生徒の役目だったから、戦中。戦後の数年間は毎年繰り返される作業とされた。
ある上場会社の工場長の話「長年、社員全員が屋根に上って一斉に雪を下ろし、工場のガラスを磨き、新年を迎える準備をして正月の休暇に入ったものである。ところが数十年前から"雪下ろしに雇われたのでもなく、ガラス磨きに雇われてきたものでない。そんな仕事は別に人を雇ってやってもらえばいい"と拒絶され唖然とした」と述懐する。
ことほど左様に「余計な労働を拒否する」風潮が多くなったようだ。その割合に自己主張(特に金銭面や休日数など)には、かしましいきらいがある。
中国や韓国を例にあげるまでもなく日本全体が「学歴優先社会」である。小生の思い過ごしではあるまいかといささか気が咎めるものだが、雪払いや雪下ろしなどは労働者の仕事だとして若い世代の社会観は「ダサイ仕事」「ランク以下の労働」だと見ているのではあるまいか。
だとすると大いなる錯覚というものであろう。社会の若者観は「気力・体力」がピークにある群像だと信じて、人並みな社会奉仕・手伝いを期待しているのだ。
「学歴優先社会」に落ちこぼれまいかと親は、わが子にすら手伝いの要請より勉強の時間を割かせることに遠慮しているのが実情のようだ。
発展途上国にはオマワリさんや役人が目立つものだが、世代の多くは「公務員指向」のようである。日本の社会指向が経済至上主義であり、学歴優先社会であるかぎり若者の判断は淋しいことだが、それで正解なのかも知れない。
平等論とは「10の力のある者が10の力を出して平等であり、10の知恵を持つ者が10の知恵を出すことで平等が成立する」常に日本の税制の如くありたいものだ。雪害と闘う若者の凛々しい姿が街中にあふれた時、それは米沢市の活性を意味する雪国米沢の風物詩となるだろう。

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