ただ一人、意見を述べられなかった米沢市長

2005/11/22 (Tue)
ただ一人、意見を述べられなかった米沢市長米沢新聞(既報)によると、県市町村合併推進審議会がうちだした「置賜地域の合併推進構想」について「各首長の考えを聞く意見懇談会」が去る16日県置賜総合庁舎で行なわれた。席上、各市町村長が各々の意見を述べ合ったが唯一米沢市長だけが意見を提示しなかった。と、報道されている。
各市町村長の首長が各々合併に対する考え方を述べたのに対して、米沢市長だけが意見を述べることなくダンマリを決め込んだのは如何な理由があってのことだろう。
申すまでもなく、歴史的にみて米沢市は置賜地域の中核都市としての認識があった。今後もその認識を持ちつづける立場にある。
「置賜地域は一つ」いわば合併に際して「置賜市構想」が当然叫ばれて論点の中心になるはずだった。
早くから米沢市長は合併について市民のアンケートを集めた。が、アンケートは立候補時の公約として履行しただけだとして、アンケートは未だに生かされていないのが実態である。
いずこの合併劇を見ても、首長をはじめとする議会議員らの手前勝手なご都合主義が災いして合併が巧く行かないところが多いようだ。全くみみっちい理由が合併阻止の大半を占める理由である。
さて、米沢市長のダンマリの理由は何か? 「合併問題に対する識見の乏しさ」だと巷間は指摘する。いやしくも望んで市長になったご仁だ。在職2年で、もはや3年目を向かえようする米沢市長である。いつまでも市長ごっこでは迷惑するのは市民たちである。
標榜する「自由の風」は自分だけのものであってつてはならないものだ。市民が自由闊達な活動を展開できるための追い風としての旗印ではなかったのか。市長の行動を見るとまさしく市民にとっては 「向かい風」ともいうべき旗印にしか見えないのだ。
政治はかならずしも国民の側に立っているとは期待もしないが、選挙の公約を実際に履行する方向にあるならば、国民も改革のための痛みに耐えようとするだろうが、選挙が終了と同時に元の木阿弥にもどってしまう。国民は政治に心の底から信頼を寄せたいのである。その信頼を裏切るのは官僚支配の現実なのである。
米沢市は正に疲弊のどん底にある。この不景気から脱却するために市長はどのような裁量で望もうとしているのか。市長在職3年目を向かえようとしているが、企業の1社も誘致できない非力さはどうだ。佐藤病院の進出希望を頓挫させたものは何か? いずれ、野村研三の立候補声明がなされているから来期の市長選挙に期待できるというものだ。野村の健康状態も完璧に近いものだと聞いている。
米沢市民に問う。安部三十郎市長の力量は市民の目にも明確に映ったであろう。いえることは市長の器ではなかったということだ。 置賜地域の中核として誇りと責任を持たねばならぬ米沢市の首長が合併懇談会で意見を提示できずダンマリを決め込むようでは、米沢市の恥だといわねばならないのではあるまいか。
「能力に欠ける市長」であり「ビジョンを持たない市長」との謗りは2年後の選挙で受けるのであろう。行政能力は勿論、政治能力に欠けた市長であれば市民の選択はおのずと異なる選択をするであろう。 前回の市長選挙は前市長の院政に対する反発票が安部を当選させてしまった。 多くの市民は語る「高橋前市長の影が見え隠れする候補が嫌さに、まさか当選するとは思ってもいなかった安部候補の名前を書いた。いたずら半分の投票が現在の市長実現となった」と述懐する人が多いのだ。
止まれ、いずれにしても市民の付託を受けた市長ならば、発言ひとつしないとは許されることではない。

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