川中島模擬合戦の創案者は「小野栄」氏にあらず

2005/10/16 (Sun)
川中島模擬合戦の創案者は「小野栄」氏にあらず新聞紙上で本年度の「市功績者・市功労者」のご芳名が発表されている。時間をおかず市の広報誌にも掲載されるであろうから一言。
「川中島合戦」の創案者は故上村良作米沢女子短期大学学長であり、小野栄氏ではない。
小生の思い違いであったのかと、手元にある上村良作氏の遺稿集で調べてみたら、本人のサインの入った「川中島合戦軍奉行指図覚」が克明に描かれているのを見つけた。武帝式の緻密な台本も書かれている。
「総務部の発表を紙面に載せたものだ」と記者はいう。そして「総務部の発表を鵜呑みにして書いたもので、精査しないで書いた自分にも責任がある」と女性記者は反省する。
一昨年の市功労者発表時に「保護司会の金を使い込んだ人物が、なぜ、功労者であるか!」と語気荒く飛び込んできた市民がいた。名誉を第一に尊守する保護司会は使い込みの実情を表沙汰にしないで済ましたようだが、ことほど左様に功労者表彰に関 しては、事前調査に欠けているようだ。
小生は表彰者を選定するメカニズムを知るよしもないが、一昨年の市民のごとく、川中島の創案者を小野氏に変えたのは、故人の名誉のためにもすべきことではあるまい。
まさか自称歴史家の小野氏の文言ではあるまいが、総務部は簡単に思い込みだけで発表するのは故人になんと言い訳をするつもりだろう。
かくして歴史は折り曲げられたままに伝えられていくのだ。小野氏は上村氏の遺稿集に「不肖の弟子」と題して、創案者の上村氏を褒めたたえているのである。また、小野氏は演劇集困ヨップネをして、米沢の演劇を伸張させてきたとあるが、彼の上演したものはすべて作者を無視した無許可上演(上演するに当たって作者の許可が必要)であり、演劇人の基本を欠いた演劇活動であった。
もはや指導者とはいえない存在であり、小生にとって迷惑至極な存在だった。だからいい加減な小野氏には迷惑だとばかりに、近づくことを避けていた。米沢市が演劇王国として全国に知られたのは小生が関与した昭和三十年代のたった二年間だけである。
小生は小野氏の表彰に文句をつけるつもりはないが、死人に口なしだとしても故上村氏の創案を自分私するのはどういうものだろうか。かつて、史々編纂室に在席中、その中の資料を他の本に自分の名前で掲載してお目玉を頂戴したことがあったとも聞く。創案者名はあくまでも大切にすることが肝要でありまして、米沢祭りの目玉として全国に知られるようになったからと言って、創案者は自分だと名のること自体が無礼極まる悪しき行為であり、少なくとも常識人のすることではない。
米沢市には小野氏と違い本物の歴史家はいる。彼らは一様に小野氏を侮蔑して語る「小野氏は脆弱な体ゆえに書籍から歴史を見て語る。本物の歴史家とは足で歴史を検証して歩くものだよ」という。
市の担当者も表彰しようとする入を、表彰するに値する人物かどうかを下調べすべきだと恩われる。表彰された後で「あのご仁は使い込みした人物だ」とか後世までいわれつづけるのも表彰ゆえの不幸にあたることになる。
総務部の担当者よ、すべてがお役所仕事だとは言わないが、米沢市を代表する人物の表彰である。事にあたっては緻密に精査することが望ましい。

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