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市町村の数に指摘があった。

kage

2005/10/07 (Fri)

市町村の数に指摘があった。

 「ば-か」氏と「勝手に増やすな」氏からの市町村の数に指摘が入った。小泉改革が始まり市町村合併が奨励された年の2001年度を基本にした当時の市町村数を3,220と書いたが、ご指滴のように現在の時点では詳細は分かっていないが、2006年の見通しでは1896市町村になるだろうと読売新聞は報じてある。

 問題は、国が経済的未来を精査した「20万入口の町づくり」構想のために、国の方向を向いた市町村と、己れの立場だけを重視した市町村との差が、同じ日本人でありながら、政策の本丸を理解出来ずに方向転換できなかった市町村の首長および議員たちの政治的能力に一住民として多大な疑惑をもつものである。

 前高橋市長時代はクラスメートという関係からばかりでなく、気さくに市民の声を聞いたものである。その高橋市政においても市町村合併は成立しなかった。
米沢イコール上杉藩は置賜一円の市町村から歴史的に忌み嫌われてきた歴史の流れがある。
 現在、小生は「雲井龍雄」を題材にした舞台劇に着手しているが、その中で知れることは上杉藩がいかに周辺町村民に苛酷な税を課したかがわかる。
 上杉鷹山公は米沢藩救世の祖と取り沙汰されているが、藩の借財をきれいに始末出来たのは、住民からの税の取り立ての上に成したことであろう。
小泉首相は国の財政建直しに「各種改革」を標榜してきた。考え方の基本は上杉鷹山公の思想と類似しているように思われる。
 改革はつらいものであり不満分子が騒ぎたて反対闘争を展開するものである。このパターンはいつの世でも同じものである。
 置賜地方は謙虚な気持ちで「大置賜市」を構築すべきだった。山形市、酒田市、鶴岡市とならんで置賜市(仮称)を誕生させるべきであった。
 明治22年、わが国で市制・町村制が公布された時点で、東京、大阪など6大都市に並んで、米沢市は31の市の中に数えられていたものである。 人口数では津市に次いで2番目に低い市だった。が、いまでは津市に追い越されてわが国では最低の人口の市となっている。
 市政が公布されてから1世紀と4分の1が経過した現在、10万の人口もない米沢市である。理由は種々あるだろうが、米沢市は人口が定着せず若者に魅力のない町として捉えられてきた証左なのであろう。
 米沢市を再生させるためには、余程、感性の豊かなリーダーで、人の意見に謙虚に耳を傾ける人物が望ましいことに違いない。歴代のリーダーに米沢市は人物を欠いていたということになる。
 しかし、リーダーを選ぶ手段として住民には選挙制度としかないのが現状だ。
立候補する人物にそれらの資質を備えた人物がいれば住民も幸せだが、立候補者がダメづくしの人物であれば米沢市は不幸の連鎖をたどるということになる。

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