米沢市の町を活性化する名案はないか?

2005/10/02 (Sun)
米沢市の町を活性化する名案はないか?サティ通りの多くは米沢市以外の「外資」による繁盛ぶりのようです。が、それでも人口の少ない米沢市からの撤退を考えている企業もあるはずで、都市を構築しているのは人口だと考えます。
小生は歴代米沢市長に「町づくりに哲学をもたない」と断じてきました。
市議会議員たちは各地に視察という名で旅行を楽しんでいるようですが、「視察」と「旅行」とは根本的に違うはずです。
米沢市の実情を他市に学ぶというのであれば、米沢市と人口も風土も類似した場所を選び視察に出掛けるべきであると考えます。
小生は以前から「全国町並み保存協会」の会員として各地を見てまわりましたが、ご存じ「馬籠・妻籠」は観光客ゼロの地域を江戸時代の中山道を復活再現して、見事年間宿泊客百万人に変えた事実。
隣県の会津大内宿は、旧会津街道に位置する宿場町だった。が、道路が新設されたりして、旧街道を通る人はゼロの世界にまで落ちたが、会津復古会の強力な復活運動によって、現在は観光客がひきもきらない有様に蘇っているものだ。
小生も復活再生に動員されたが、まずその場に住む人たちの無理解から、時間を労したものの時間とともに民宿する家も増えはじめ、現在の大内宿の繁栄に繋がったものである。
おなじ会津でも尾瀬の入口「枝峡村」は、松平県政が道路を一本造ったことで、シーズンには民宿業は一晩10万円の収入になったことは事実である。
しかも、若い人は都会に出かけているから、民宿を営んでいるのは決して若いといわれる年代の人たちではないのだ。
米沢市の疲弊は上杉鷹山公を中心とした上杉文化に依存し過ぎて発展しないキライが見られる。米沢市を観光の町と位置づける哲学があるとするならば、上杉公園の周囲に「江戸情緒」豊かな観光客に喜ばれそうな町並みを造成することだろう。
米沢市全体を一時に潤いのある町に鞍替えさせることは無理だとしても、一点豪華主義をもって、まず、「観光の拠点」づくりをすべきであろう。
観光客が楽しめる景観づくりを主眼として、観光客を誘致して米沢地区の産物を販売することを念頭にした開発が必要で、新たな産業起しにも当然繋がるものだと推察される。
倉敷に「美観地区」が設定されているように米沢市の「伝国の杜」博物館周辺を何とか蘇らせる方策を考えてみるべきであろう。
サティ通りの混雑は「人は人の集まるところに寄る」原理で、あたらないことかも知れないが東京銀座では土曜日ごとに「歩行者天国」をして車を通さない政策をとっているが、米沢市の場合はどうだろうか。
仮に歩行者天国になっても、その場所までは歩いていけないという距離問題もある。
ともかく、米沢駅から歩いて観光している人たちも見かけるが、聞いてみると上杉の城下町を見物に来たのだという。が、その人たちを迎える姿勢もなければ施設もない。ないないづくしの米沢気質である。
会津の復古会など観光のプロの指導を受ける謙虚さもない。自分の知恵に限界を感じたら「成功者」の意見を聞くことであろう。
小生は会津の復古会の会長と懇意であるし、会長は全国町並み協会の会長でもある。謙虚に耳を傾ける態度が何より優先する態度だと思われる。
その態度こそ米沢市に欠けているものだ。

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