今、米沢市で何が起こっているのだろうか?【№5】

2013/03/14 (Thu)
不条理の「その5」 会津には「ならぬことはならぬ」という戒めの言葉がある。この言葉は市民にとっては教育的な言葉として、今にして息づいている。 会津若松市に組織されている会津復古会との長い付き合いから、小生は会津から人間の生き方を学んだ気がしてならない。
会津若松市の市長在職期間は米沢市に見られるように長期にわたることはない。
仮に安部市長のように市政をわがもの顔に作り替えるような事をしたら市民が許さない。
リコール運動によって直ちに市長の位置は閉されてしまうことになってしまう。
それだけに会津の人間性と米沢ザワ衆のそれとは世の中をシビアに見る目が違うようだ。
この違いは戊辰戦争に破れて、藩全体が家屋敷を失い北の僻地トナミ藩に流され、想像もつかない塗炭の苦しみを味わった歴史がある街だから屁理屈の通るところではない。
米沢市の歴史にも燦然として輝く雲井龍雄という人物がいた。この男、新政府に反骨を見せたとの嫌疑で、米沢藩に本人を逮捕のうえ差し出すよう命令が下されたのだ。
米沢藩としては新政府に睨まれるのを恐れて雲井龍雄を新政府に送り、新政府の手によって処刑(斬首)され、処刑後は現東京大学に第一号の遺体として預けられた。
雲井の遺髪は城南五丁目にある常安寺の墓に納められ、二月には雲井まつりとして現在もしめやかにとり行なわれている。
その雲井祀りで、当選して間もない安部市長の姿をみつけ、余計なことだと思ったが「お前の評判はすこぶる悪いぞ。気を使った方がええぞ」と言ったら急に顔色を不愉快そうに変えた。それから安部とは顔を合わせても一切言葉を交わす事が無く、現在に至っている。
議会傍聴にいくと、安部の席と向かい合う位置にあるから市長の一挙一動が見渡せ答弁の幼稚さを実感する事となる。
嘘だと思ったなら議場に出掛けて確かめてみたらいい。安部市長の実像をみてガッカリする市民のなんと多いことよ。
市民は安部に票を投ずる前に一度は議会に参上してみることだ。
「あれが米沢の市長であるか?」と、おそらく市民の多くは慨嘆することになろう。
しかしながら議員を籠絡する能力には長けているようである。
昨年4月、ポポロ館跡地への新文化複合施設建設が頓挫すると、その建設地を「まちの広場」とする変更案を全員協議会に諮ったが、当初議員の賛同を得る事は出来なかった。それが8月臨時議会では賛成12反対10棄権1という僅差で議決となった。
その間に6月定例議会が有った訳だがここではその変更案を上程せず、8月に臨時議会を招集したと言う事は、その時点で過半数の賛成議員を纏め上げた自信からであろう。
臨時議会の前に異例である「市長と議員との昼食会」を開いているが、巷間これが意思確認の手段だったと噂されている。
そして「まちの広場の条例廃止」と「建築費予算」が今月22日に上程され、可決されれば「まちの広場」の取り壊し工事が始まる訳だが、22日の議決前にまたもや「昼食会」が開かれたとかを耳にする。
「早い、安い(助成金)」を賛成の理由に、22日には「まちの広場」を壊す案が賛成13反対10の可決で新文化複合施設建設の条件が整うであろう。
賛成に回ると予想される議員は下記の通りだが、はたして彼らは「まちの広場」を壊す事の賛否を市民に問うたものか、判断が本当に民意を代表していると思っているのか、50年後でも市民から「判断は正しかった」と言われる自信が有るのか、いずれにしても歴史に残る判断が22日に下される。
賛成が予想される議員
市政クラブ--高橋義和・小久保弘信・我妻徳雄
米沢維新会--高橋嘉門
日本共産党市議団--高橋壽・白根澤澄子
事由クラブ--佐藤忠次・遠藤正人・堤郁雄
一新会--工藤正雄・相田克平
公明クラブ--山田富佐子・佐藤弘司

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