「武者道」は「無者道」?

2015/05/21 (Thu)
「武者道」は「無者道」?西條天満公園と一緒に3.3億円を投入して整備された武者道には看板が建てられ、要約すると次の内容の説明文がある。

・武士が買い物に行く際に、刀を差さず笠で顔を隠し、頬かむりして忍んで出入りした。
・原方衆が城下に来る際に通った道。
以上が看板の内容だが、小生はこの説明には大いなる疑問を抱いている。
疑問その1
・堀は四方に巡らされていたにも関わらず、城の東側だけに管理道路が有る理由とは何か。
疑問その2
・武士たるものが笠で顔を隠したり頬かむりして、忍んで通らなければならない理由とは何か。
疑問その3
・原方衆がこんなに細い裏道を通らなければならない理由とは何か。
話は飛ぶが、米沢市内から喜多方へ向かい、米坂線の踏切を越えると舘山付近に「一ノ坂」があり、この辺を「吹屋敷」と呼び、地名の由来は、 1.武士屋敷があった。2.武器庫があった。 など諸説有るが、いずれにせよ本来の意味を持つ地名を使うと、幕府に詮索されるなどの不都合が有った為の「言い換え」だと思う。
上記に倣えば「武者道」は「無者道」が語源でなかったかと推測している。
「無者」とは、『お金も地位も無い侍』と仮定すると、疑問1~3は説明がつくのではないか。
疑問1について
「武者道」が有るのは商家のうら通りのみで、商家に本通りから入れない事情の「無者」が裏口から用を足した。
疑問1~2
「無者」とは原方衆の事で、彼らは侍の身分で有りながら、禄が少なく生計を農業で補わなければならなかった。
当然お金も無いので商家での支払を、採れた農作物で行ないたい事情もあったろうし、又、当時の下肥は農業を営むに貴重品で有り、食生活の良い商家のそれは手に入れたかったであろう。
以上を想定すれば、刀をささず、顔を隠して裏道を通ったとするに納得でき「無者=原方衆」の侍として生きる、切ない思いが彷彿する小生だが、訪問者諸兄はどの様にお考えであろうか。

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この記事へのコメント

会長の仰るとおりです。看板は説明不足です。
Posted at 18:34:37 2015/05/25 by 市民
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