米沢の観光産業を考える

2005/09/18 (Sun)
米沢の観光産業を考える会津観光の中枢におられる「会津複古会」の会長のコメントが面白い。
「会津の人たちにとって米沢を訪れるのは一種のあこがれにも似たところがあり、米沢にいけば米沢牛肉を食べなければ訪れる甲斐がない。会津は馬肉文化だから無理もないことだが、牛肉を賞味するに値段が張るから余程の余裕がなければ行けないのが米沢だよ。それに比べると米沢の入たちは一杯500円の喜多方ラーメンだけで会津観光の気分になる」
観光客の動向は米沢牛肉5000円と500円のラーメンとの差にあるという。考えてみれば、こんにゃく番所の隆盛の基礎は1串100円のこんにゃくであり100円で観光気分が満喫できることにある。
民宿の始まりは長野県であると聞いたことがある。なるほど何処にいっても民宿の設備がある。最近の値段はさだかでないが、数年前までは一津5000円と決まっていたものだ。温泉つきもあれば馬籠妻籠のように桶風呂のところもある。故郷の郷愁を求めて多くの観光客が長野県を訪れるのには、日本アルプスに代表される山岳美もあろうが、松本市を中心とした文化発祥と文化を守りぬく県民の美意識とが相俟って人たちの心を誘う所以なのであろうか。
岐阜県境に位置する馬籠から妻籠に通じる山道「旧中山道」は、今も多くのハイカーの健脚によって散策され、島崎藤村の名作「夜明け前」も歩きによって理解されているようだ。
千曲川旅情の歌で知られる小諸城の近く、有名な「佐久の鯉料理」は米沢の人たちには頂ける代物でない。はっきり申して味覚に問題があり不味いのだ。会津の鯉料理も甘すぎて米沢人にはなじまないようだ。
米沢人だけの味覚の問題じゃなさそうで、川魚はドロ臭いものだとする都会の人にすら米沢の鯉料理は絶賛されているのがわかる。このように米沢市には味のABCとしての特産品がある。リンゴはともかく牛肉と鯉料理は米沢市の推奨特産品として誇れるものである。したがって、米沢の特産として気軽に何処の店でも賞味できる方策を考えてみることも大事なことであろう。
隣の福島市を訪れてみて驚くことは、市内の大部分の家の軒先まで果樹栽培が行なわれていることだ。鑑賞用の庭などは勿論、松の大木などは見あたらない。その点では地場産業との取り組み方に相違が見られる。
天高き秋である。米沢を取り囲む山野には秋の産物が豊富に実る。松茸などの高級品は別だとしても、山形市が全国に知らしめている「山形の芋煮」を雑キノコと米沢牛の切り落としを使った「芋煮」を提供することも考えてよい。
現在は企業による団体慰安旅行が衰退したことによって熱海温泉を代表とする大型保養地が壊滅するご時世である。小銭を得ることに力点をおいた観光事業がこれからの成功につながるものであろう。全国的にみて米沢周辺の温泉地はあくまでも日本の田舎である。ならば、角のくたびれたマグロなどの刺身よりは「幻のいわな」や「鯉料理」などを主流にする必要がある。
数年前、奥飛騨の多層民家の炉端でもてなしを受けた「いわなの塩焼き」は旅情をさらに深めてありがたかったし、笹川の流れで食べる「岩かき」の美味さは格別なもので、そのために多くの観光客を誘客している事実に目を注がなければ観光行政は成立しないものだ。
前述したが「うこぎ料理」や「鷹山公の結婚祝い膳」などの復元や開発もすばらしいことには違いない。だが、それを以て観光の振興に役立てようとする考え方には馴染めないものを感じる。米沢を訪れる観光客の全てとは言わないまでも、日本の田舎町を米沢地方の産物に触れて、かりそめの時間を「癒しのため」来られるものだと解して間違いはないものであろう。
土地の産物といえば飯豊町の道の駅「めざみの里」で気づくことは観光客の多くは「地場の産物」販売コーナーを独占していることだ。
一の関は「餅文化」であることから祝い膳には必ず「あんころ餅」がつく。しかも餅膳は市内各地で簡単にお目にかかれて、餅の種類は地元で捕れる川海老をはじめ十数類の餅が気軽にいただけるという定着した観光地である。
米沢が誇れる産物には何があるのであろうか。改めて熟慮してみる時ではあるまいか。
テレビでの放映で新高湯温泉が極付け温泉だとして姥湯とならび称されているようだ。白布温泉は名物の茅屋根旅館が焼失していつもの賑わいがないように見えた。観光行政を司る観光協会をはじめとする会議所や行政などの視点は「海ならば鮮魚」「山国ならばいかにすべきか?」を自問自答することからはじめなければなるまい。
米沢市が山国である以上、解答は見えているはずだ。小国町の森林組合では春の「わらび・ぜんまい」からはじめて、秋の「キノコ」販売まで一軒の売店で億に達しようとする売り上げをしている事実をどう考えればいいのだろう。
飯豊町営の一軒の旅館と新装なったホテルのメニューは明らかに田舎を意識したものだ。また一方でホテル側は大船戸の網元からの直送による「新鮮な海産物」も目玉にして客の満足を策している。それに加えて郷愁をそそる「ドブロク」の醸造が認可されているという具合だ。ドブロクの認可によって都会どころか置賜地方の集客もある。
そば屋一軒すらなかった椿地区に、中津川から進出した「ガマの湯」の繁栄によって椿の町がよみがえった事実。その発展の秘密は「酒宴」から、個人の「小あがり客に癒しの場」を提供することに努力されたことにある。無論、流行の「足湯」もあるが小額の「野菜そば」も用意してあって、住民の憩いの場所になっている。
稲田の中に不似合いとも思われるホテル形式の旅館の建物がポツンと現れて人の目には異様な風景のように見えるのだが、米沢から訪れる客も意外に多く、名物の「クマ鍋」や「ドブロク」「田舎料理」を求めて一夜を過ごす客が多いのだ。
はっきり申しあげて、米沢市の奥座敷と称される小野川温泉の膳には「田舎の産物」が不足していると感じた。とはいっても年に数回しか訪れることはないから極端な感想かも知れない。が、どちらかというと、何処にでもある町の旅館という雰囲気から抜け出していないようだ。
料金にもあるだろうが、田舎を彷彿とさせるイワナやヤマメなどの川魚の塩焼きや刺身などはお目にかかったことはない。以前はどこの旅館でも鯉の甘煮が膳に乗ったものである。旅館独自で調理したから、甘煮には旅館各自の味覚が楽しめたものである。その楽しみが旅館から消えてしまったのだ。
昔は旅館のご馳走が最高のもてなしだった。が、現在は交通輸送の短縮によって、どの家庭の食卓にも望めば山海の珍味が並ぶご時世である。旅館に出掛けてまでご馳走にさずかることもない時代を真摯にうけとめることが繁栄の第一歩になるのではあるまいか。
「米よし」「山菜も川魚も豊富」「温泉の湯質は100%で混入なし」これら3種の神器を兼ね備えた小野川温泉・白布温泉であるはずだ。そこに都会に疲れた人たちや田舎思考の人たちを誘致する舞台は揃ったはずである。
そこで何の産業であっても、市民に支持されない産業は衰退の一途をたどるものだ。あの米沢織りの衰退は技術にも乏しいものがあったが、一に市民の支持に乏しいものがあり、加えて織元の高慢さが市民の反発を増幅したことにある。市民のだれもが「米沢織を身につけようとしなかったことに加えて、他産地からの購入こそがステータスであったことに帰する。 不思議に市内の呉服商すら米沢織りを店頭に飾ることがなかったことである。

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