小泉台風がもたらしたもの:失速するのはいつの日か?

2005/09/14 (Wed)
小泉台風がもたらしたもの:失速するのはいつの日か?予想をはるかに凌駕した今回の自民党躍進の原因は、参議院での郵政法案の否決により、常識的には奇襲と言われる、小泉の衆議院解散にあったと思う。
法案反対の旗頭にして自民党の実力者、亀井静香氏は「解散などありえない」と豪語するも、自民党公認をはずされ、政治にド素人のホリエモン氏の肉薄に冷汗をかいたようだ。
「政治の世界において一寸先は闇」を地で示した小泉自民党の作戦勝ちであった。
が、自民党大勝利の陰に懸念されるのは、ナチス台頭時のドイツ国民の悲願「強いリーダー」の出現であったことにある。
官民格差が広がり、国民にそっぽ向かれた国保が意図するところは、政治不信によって国家に寄せる国民の不安でしかない。
国民の多くは理屈抜きに「強いリーダー」を求めていたことにある。小泉台風を支持した国民は、ともすると「強すぎるリーダー」の独善に警戒の目を常にもたなければナチスドイツの二の舞や、再軍備論などの復活に巻き込まれる危険性がないとは断言しにくい現状にある。
議員は選挙によって淘汰されるが、官僚の首は不都合だからといって政治家といえども簡単に鉈を振るうわけにはいかない。ここらに官僚の奢りと族議員の増殖があり、日本の政治の非弱さがあるように思える。
今回の選挙戦では、官僚による「財政投融資」の失敬に果敢にメスを入れる議員は皆無だった。
簡易年金保険・郵便年金積立金などを運用して起こした政府事業ではあるが、失敗の責任をとる官僚や政治家は一人としていないのは何故だ。
政治家の全身全霊を貫くのは「勝てば官軍負ければタダの人」なのである。政治を志す人は「タダの人」だけにはなりたくないのである。だから、口が裂けても「自分に不利になることは喋らない」のが鉄則なのである。
そして可能なかぎり責任を他に押しつけて回避し、正常な社会人にあるまじき行為が平常心で実行出来る条件を備えていなければ政治の舞台で大成できないのである。
「オレでなければ」と、最初から奢りが優先する立候補である。
多くの議員は土俵際でふんばる力もなければ勇気もない。それを小泉台風が見せたのである。国民の期待を独占するにはあまりある小泉旋風であり、土俵際の踏張りであった。
「落選すればタダの人」になりたくない議員たちは、しばらく小泉の顔色を見ているだけにとどまり、ポスト小泉を詮索するだけの議員活動になるのではあるまいか。
後進国ほど学歴社会をつくり、教育の根源である「家庭の教育」を疎かにするものである。
少子高齢化社会の到来は、とうに予想できたはずである。いまさらのごとく問題視するのはあたらない。社会は輪廻の世界である。
「カーつきババア抜き」を結婚の条件とした時代や、学歴優先の社会を構築した日本の政治態勢である。いまさら捻れた社会構造を建てなおすのは容易なことではない。
わが国に欠けたものは「家庭教育における躾の重要さ」であろうし、学歴偏重にすぎたバランスを「国家とは社会とは?」の国民教育に力点を移すべきだろうと考える。
若者のだれしもが「青雲の志」に燃えているものである。たとえ学力が乏しくとも、走る・投げる・跳ぶ・泳ぐことに志しを燃やす若者が60年前にはいたものである。
潜在する若者たちの志しを暖かく迎える社会であってほしいと願うこの頃である。
台風一過の青空は高い。青い空の下で自然と躍動する若者たちの姿が見られるのはいつの日であろうか。

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