fc2ブログ
2021 09 « 1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.31. »  2021 11

伝国の杜博物館の目玉「能舞台」は能舞台にあらず。

kage

2005/08/26 (Fri)

伝国の杜博物館の目玉「能舞台」は能舞台にあらず。

 小生の所属する財団法人「日本演劇協会」の事務局は東京干駄ケ谷の国立能楽堂にある。
事務所を訪ねた時「米沢市にも立派な能舞台が出来たよ」と、当然登録がなされているものと承知していたら事務局のだれもが怪訝な顔で「ほう!」と頷くだけだった。
 ようするに国立能楽堂の職員たちのだれもが、米沢の能舞台の存在すら知らなかったのだ。小生は能については全くの素人だから、それ以上の会話を交わさなかったが、天下の国立能楽堂の職員とあろうものが知らないではすまされまいと不快に思っていた。

 ところが原因が分かった。それは、米沢の能舞台は「能舞台の形式」を逸脱した建物であったということだった。

第一のミスは「能楽堂は神式である」ことだが、米沢の能楽堂の屋根は御廟所の歴代藩主の墓所の屋根の形を取り上げた、いわば「仏式」であること。

第二のミスは床の形式にある。橋かがりに使用する板は幅6寸であらねばならず、舞台に使用する板幅は1尺であらねばならないという決まりがある。が、形式通りの板を敷き詰めていないことだ。

第三のミスは、舞手が床を蹴った時に起きる反響の設備が成されていないこと。上杉神社内にある「能舞台」には、反響に役立つように舞台下の縁の下の土の中には4コの瓶が埋めてある。 新設備の能楽堂には縁の下に土がないことから、反響のために瓶を埋めるわけにはゆかないが、せめて、機械による反響設備はできるはずだった。

 「御簾の間」もなければ「松ばめ」に描かれた松は形式にあった松模様ではないという。
コケラ落としに訪れた金剛流宗家は「二度と米沢の舞台は見たくない」と言って帰られたのだという。

 なぜ、米沢の能楽堂は能の形式を軽んじたものか、そのわけは米沢出の某代議士によって、施工は仙台の業者(設計屋)に依頼したことが原因だともいう。
設計にあたり「こんな形式は能舞台にはない」と関係者は執拗に設計屋に迫ったが「能舞台はあくまでもステージの一部です」と、突っ張り通し関係者の意見に耳を傾けようとしなかった結果があの能舞台だということになる。

 折角の能舞台が、神式を仏式に代えるといった形式上の問題を無視したうえに、板ばめの寸尺すら整えず、まして高名な画家の手による松の絵が形式から外れているなどして、米沢市民が誇れるような能舞台で無いことは確かだ。

 いくら某代議士の手がまわった仙台の業者とはいえ、専門家の意見を無視するような建造物を残した責任を一体だれがとれるというのだろうか。
 政治家がらみの能舞台だとは市民のだれも知らなかったであろう。

コメントフォーム

kage


URL:




Comment:

Password:

Secret:

管理者にだけ表示を許可する

この記事へのトラックバック