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いきなり黄金伝説・「米沢初代藩主は謙信公にあらず」 ②

kage

2005/08/25 (Thu)

いきなり黄金伝説・「米沢初代藩主は謙信公にあらず」 ②

 上杉は丹波の国、上杉の庄「上杉重房」が祖である。
一方、長尾景虎(謙信公は、府中長尾の出だ。長尾家は他に「上田長尾」「栖吉長尾」「三条長尾」がある。
 上杉景勝の母親は謙信の姉にあたる。が、謙信が起こした「ほだての乱」によって一族が殺戮され、景勝の父政景も謙信の手によって殺されている。
 後に秀吉の五代老となった景勝は、中納言の位をもつ公家扱いの武将になった。そこで「四辻大納言の娘」を娶った景勝はさらに飛躍することになった。
なかでも、景勝の正室の妹が後水尾天皇の妃になったことから、景勝は時の天皇の義兄となり天皇家と姻戚関係に入る。
二代定勝は京都にのぼり皇族の待遇を受け公家の生活をおくり雅びの文化を身につけることになる。定勝は「猪熊中納言」からキリシタンを信仰する息子をあづかり、田沢の奥に匿うが、三代綱勝の代になって匿いきれず北山原で処刑されることになる。
 おそらく上杉家が京都から持ち帰った「雅の文化」が米沢市に根をおろして現在があるのであろう。

 謙信は景勝の妹を北条氏政に嫁がせたのも、時の北条の威勢に恐れをなしていたからで、はじめは北条氏政の息子に跡目を継がせるという「約定書」まで作っていたのだが、謙信の臨終の床で景勝の母が「跡目は景勝ですね?」と問うた時に謙信が頷いたことを以て跡目が景勝に決まったのだという。これらの文言は上杉の古文書に記してあるのだという。
 上杉神社の南側、招魂碑の建っているあたりから、社務所にかけて「法恩寺」を中心とした「わき寺9ヶ寺」が建っていた。
中心の法恩寺の賽銭箱の裏側に「謙信公の遺骨」が瓶に収められたまま放置さながらに置いてあったと「江戸時代の絵図」に書いてある。
 景勝は会津藩120万石の時代には「謙信公の遺骨」を持ってこなかった。米沢30万石に移封された頃を見計らったように春日山からの矢のような催促によって持ち帰ったものであるから、今以て謙信公の墓は御廟の地には存在しないということになる。
 したがって、米沢藩初代藩主は「上杉景勝公」であり、「謙信」を初代藩主とするのは時代錯誤である。
 以上のことは16代隆憲氏が生前中に、三人の郷士史家を招いて上杉の歴史がズッ シリと詰まった蔵に案内し、そこで「門外不出」と明記された木箱を初めて開陳したところ、以上のような驚くべき事実が明らかになったものである。この大切な木箱を抱えて東京大空襲を逃げ回ったというエピソードもある上杉家にとっては、最重要な古文書の詰まった木箱だったようだ。
 木箱の中身を目にした史家は今泉・下平・井形の3氏しかいないという。

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