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いきなり黄金伝説・「米沢初代藩主は謙信公にあらず」 ①

kage

2005/08/23 (Tue)

いきなり黄金伝説・「米沢初代藩主は謙信公にあらず」 ①

 二十日間にわたる検査入院生活の間に、上杉家の歴史について最後の生き証人だとされた郷士史家と偶然にも病室でお会いすることができた。
 上杉の三研究家と称された故今泉氏・これまた故人になられた故下平氏に並び、上杉御年譜を完成させた井形氏の御三方が、巷間伝えられてきた「上杉家の歴史の過ち」を公表し、市民が信じ伝えてきた上杉家の真実を正すべきだとして機会を待っているうちに今泉・下平の両史家が故人となり井形氏が最後の生き証人として残されている。

 彼らは「上杉家の歴史的誤認」を正そうと企画した折りに、町の素封家の某氏から「発表などしたら、米沢にいられなくしてやる!」と脅迫され、以来悶々とした年月を過ごしてきたのだという。「しかし、米沢市が捉えている歴史観は間違っている、山形県ですら米沢市同様の認知しかない。国では完全に上杉の歴史的な誤認を認めている」と語ってくれた。

 米沢市民の上杉家への第一の誤認は、藩祖を「謙信公」と信じていることにある。謙信公は天正六年に春日山で没しているから米沢市との関わりはないのだ。米沢における上杉の藩祖は「景勝公」であらねばならない。国の文献は上杉景勝となっており、山形県米沢市は今以て「謙信公」を藩祖としているのだ。

 戦時中、学校を問わず体操場には「謙信公と鷹山公」の肖像額が掲額されてあったものだ。当時の事情から関が原で敗戦した負将軍景勝公よりは、数々の武勇伝を歴史上に残した謙信公を藩祖とするほうが国民の戦意を高揚させるために具合がよかったに違いない。
 したがって謙信公を祀る上杉神社を正面に配し、 参道の入口に別格官弊社なる石塔が建てられていた。(戦後取り壊された)
これはきまった格式以外で特別扱いの格式で、多くは功臣を祀ったものだ。
ちなみに松岬神社には「鷹山公と景勝公」が合祀されて現在があるという。

 市民を誤認させている最たるものは「上杉の御廟所」にある。
御廟所には歴代の藩主の墓が祀られているが、景勝公の墓と定勝公との正面には確かに謙信公の墓が存在しているかのように錯覚するが、謙信公の墓ではない。
よく観察されると「必宮」との文字が目につくはずだ。「必宮」の意は「もがりや(仮住)」 のことで墓を作るまでの仮埋葬のことである。したがって今以て謙信公の墓はないということになる。
 伝え聞いた謙信公の墓には、武具を着用した謙信公が漆で塗り固められて祀られているのだと信じてきた。が、御廟所には謙信公の墓はなく「仮住まい」の「もがりや」が有るに過ぎないのだという。

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