川中島模擬合戦に思うこと

2005/06/28 (Tue)
川中島模擬合戦に思うこと書込みに「模擬川中島合戦」についたご意見があり、小生の意見はと問われたので常日頃考えていることを述べてみようと思う。
申すまでもなく上杉祭りの最大のイベントと捉えた「米沢観光の目玉」であろうが、年々、観覧する客数が減っているような気がする。この原因を探る前に小生が提唱しつづけたことを述べてみたい。
模擬川中島合戦を提唱し指導に汗を流した人は、女子短大の故上村良作教授であり、陰になって支えてきたのは小野栄氏だと聞いている。
上杉行列が終わると、ただちに合戦が行なわれて観光客は「昼食も買物」する暇もなくその点では不評をかっていたものだ。翌年は「おにぎりを売る店」などがでる始末。
そこで時の観光協会長だった浜田氏に「これでは商店街が潤わない」と進言して、現在のように3時間程度の間をとるようになった。この時間が米沢市を潤わせる大切な時間なのだと考え説得し実現させてきたものだ。
さて、模擬川中島合戦に殺戮の非常識論を語られる意見もある。その点については「模擬殺戮」と「平和憲法発布」を重ね合わせて深刻化する必要はどうかと思うわけで、殺戮を肯定する人は誰一人いるわけでもなく、単なる時代絵巻として楽しみ、それが観光の目玉であるならばそれは許される許容範囲だろうと小生には思われる。
今年は京都の時代祭からヒントを得たのであろう「米沢歴史行列」ともいうべき行列もお目見得したが、感心した企画だとは思えなかった。いずれにしても膨大なエネルギーの結集である。が、言わせてもらえば「武帝式」は上杉軍団の全武将が集結した出陣式である。極度の緊張と無駄な刻を省く必要があった。
したがって「少年隊」「槍隊」などのエキズビジョンはなかったであろうし、厳戒態勢で挙行される性質の式典から、当然ながら多勢の警備隊の配置が必要である。観客が即警備隊だと解釈すればそれで済まないことではないが、それこそ殺戮を目的とて出陣式である。
まず、緊張感に欠けるのは残念。翌日の行列は川中島の戦場に向かう行列である。 川中島到着を前にして、今にも崩れそうな脆弱軍団では観光客を楽しませるどころか笑いものにされている。大切なことは殺戮の場におもむく武士の凜と構えた雄姿なのである。
さて、模擬川中島合戦はより効果を出すためには周囲のホリゾントを消す意味から、夜間に照明アップで行なうべきである。篝火も映えるだろうし、出演する武士の数を3倍にして見せることができる。
部分的な指摘だが、槍は「突く」前に「斬る」役割を持った武器だと解釈すべきであろう。見せ場もなく、ただ群衆を動かすだけではドラマは盛り上がらない。それには「格闘技軍団」を結成して普段から「見せ場を研究研鑽」する集団を養成する必要がある。その場その場では模擬とはいえ観光の役には立ちそうもない。
史実よりは現代の解釈に力点をおくべきだと考えるものだ。

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