なぜ出さぬ!「一般廃棄物処理業の許可」(3)

2005/05/28 (Sat)
なぜ出さぬ!「一般廃棄物処理業の許可」(3)隣県・二本松城跡通用門そばに「戒名石」と呼ばれる石碑がある。
二本松五代藩主、丹羽高寛公が、藩儒学者岩井田昨非の進言によって、藩士戒めとするため銘を刻ませたものだ。寛延二年のことである。
碑文を紹介する。
「爾俸爾禄 民膏民脂 下民易虐 上天難欺」
碑文の解説によると、「お前がお上から戴く俸禄は、人民の汗と脂の結晶である。下々の人民は虐げ易いけれども、神をあざむくことはできない」とある。
ここでいう俸禄を戴く人とは「議員や公務員」のことであり、戒めとして「下々の人民を虐めることなく藩政につくせ」としてある。
そこで米沢市における議員活動や市職員の態度に思いをいたすとき、碑文の戒めを逆行しているのではあるまいか。
どんなに恵まれた給料を得ているとしても、人は等しく「給料が安くて」と不満を述べるものである。
俸給と己れの仕事のバランスを考えた時、不満を持った人たちの仕事は必ずしもバランスがとれているものではない。
仕事の出来る人物とは、仕事に魅力と意義を感じているから給料の中身に不満を持たないものだ。 議員の税滞納も問題だが、市職員は必ずしも市民の対応において市民の側を見ないことが多い。
実例をあげる。再生資源物を市の収入にするには古紙などの分別を厳しくすることが第一義とすることだが、市が永年収集運搬を随意に委託している業者の収集が、その分別において価値を高める作業をするどころか、メチャクチャの収集しかできないのであれば、収集業者に厳しい態度で望むべきところ、市民の分別に問題があるとして随意委託業者側に立って業者を庇う行動をする。
ならば、収集業者も入札制度を導入すべきだと考えるものだが、行政は常に随意契約業者を是とする考え方から出発する。したがって、収集業者の無法ぶりは言語に絶する行為がつづけられている。
再生資源物は市民にとっては不要物であるが、不要物を買取り再生する業務をなりわいとする業者にとっては「商品」である。
分別をしようにも、しきれないような収集しか出来ない業者を是として、米沢市が依頼していることもおかしいものだが、再生資源物を分別によって付加価値を高めようとする努力に欠けているのはなぜだ。
分別が悪いのは市民のせいだとする前に、職員が成すべき仕事とはなにかを考えるべきであろう。分別が悪ければ作業服に身を固めて自ら分別作業を行なうべきではあるまいか。机に座ったままで米沢市の再生資源物の収集分別ができるものではあるまい。
分別を高めて高価に引き取ってくれるよう買取り業者に働きかけるのが事業というものである。
議会には米沢市の歳入に寄与する資源物であることに思いをいたし、担当部職員の仕事ぶりを追求し是正させる義務がある。
環境生活部の奢りとも思える「許可」制度の間口を広くし、業者による競争原理によって市民の経済的負担が軽減されることを考えるべきが筋である。
あたら許認可権を伝家の宝刀のように振り回し市民の負託に答えようとしない職員を議会は無能職員として糾弾すべきものだと考える。

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