分別資源物(古紙・スチール缶・アルミ缶)の入札制度実施を喜ぶ

2005/04/25 (Mon)
分別資源物(古紙・スチール缶・アルミ缶)の入札制度実施を喜ぶ本会が一年半に渡って提唱し続けてきた「分別資源物は市民の財産である」その処理に関し「無償譲渡は不当」だとして「売り渡しは公平な入札制度」に回帰すべきが市民の財産を守る担当課の任務であろうと願ってきたが、今年から随意契約を廃して指名入札制度を採用されたことを市民のために喜ぶものである。
ひとつの提唱は良き方向で決着しそうだが、提唱している残りの問題「一般廃棄物収集運搬業」の許可については早晩解決するものであろうが、実施されるまでは本会の提唱が残っていることになる。
ところで、分別資源物売り渡しが随意契約を廃棄して入札制度になることは好ましいが、入札について多少の不安は残るものだ。
指名入札業者は何社であるか知る必要もないが、問題視されてきた山形古紙回収センターも当然指名され入札に加わることであろう。
山形古紙回収センターに限定していえば、長年の随意契約によって分別資源の買取り価格を市況よりも低価格で引き取ってきた背景が有る。
米択市との契約にはキチンと「市況をみつめて、より高価に買い取るヤードで処分すること」と、経済性がうたわれているにも関わらず、経済性を無視して私的につながりのある山形古紙回収のヤードに運び込んで米沢市の収入を激減させてきた経過があることから、山形古紙回収の入札価格に監視の目を集中する必要があろう。
なぜならば随意契約時の買取り価格と入札時における買取り価格との間に、大きな価格の差がみられた場合、入札で提示した買取り価格で随意契約時にも買取り出来たはずだという黒い疑念が米沢市民の中で問題視される。
もし、そのような差が見えるようでは、いままで米沢市民の財産を不当に低価格で処分していたことになり、再生資源物協同組合との謀議が証明されるものとして本会の攻撃の的にせることは必死だ。
そして随意契約とはかくも米沢市民を愚弄するものとして、随意契約固守のために本会の提案を無視しつづけてきた環境部の責任問題を追求する。
まず、随意契約から指名入札に制度になったことは評価するが、心して入札制度は公平なものにしていただきたいものだ。
帝王学の根本を成す「陽明学」の真髄とは何か? いうまでもなく「知行合一」の精神構造だ。私欲によって分断され、知と行の本来の在り方を見失わないことだ。米沢藩は古くから朱子学を藩学とし、陽明学を藩の異学として排斥してきた経過から先進的な感覚をもって藩の建て直しなどに人力する人物が育ってこなかったといわれている。
知識を行動にかえるという陽明学では「名を重んじるだけの学問を避けてきた」ようやく米沢市も行動にうつすことの意義に目覚めてきた思いがする。米沢の欠点は「行動する人物より、名のみを高めようとする人物」が幅をきかしている町のようだ。だから行政に異論を唱えるなどの人物は忌み嫌われてきた結果、官を増長させるだけの後進的な町となって伸張発展は望めないでいるのだ。要は知識を行動に移す人物の登用が待たれるゆえんだ。

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