反日デモに思うこと。

2005/04/19 (Tue)
反日デモに思うこと。たしかに大東亜戦争は多くの犠牲の前には無意味な戦争であったかに見える。しかし、アジアの小国たる日本が欧米の白人達を相手に戦ったのである。
小生の義父は生前小生につぶやいたことがある。「日本は無意味な戦争をしかけたとは思えない。戦争勃発まではアジアの小国の全てが欧米の植民地政策に牛耳られていた。その国が終戦と同時に全て独立したではないか。これだけ見てもあの戦争は無駄ではなかったと思っている」つぶやきがつづいた。
「戦闘とは相手が戦闘準備をもつ者同志が殺戮をおこなったものだ。おなじ土俵上でマワシをつけた同志が戦うのが相撲であり、リングで戦う者は定められた条件内で勝負をつけるものだ。ところが日本兵が中国大陸で苦戦したのは、軍人が民間人に扮して戦いを仕掛けてくるゲリラ戦術だったという。軍人と民間人の区別もつかない泥沼の戦争だったから、間違いも当然起こったであろう。それをいつまでも外交の具にしているのはけしからんことだ。ならば米国が圧倒的に民間人のいる東京を空爆し、広島・長崎に落とした原子爆弾の意味は何か?無差別の大殺人行為ではなかったか? 敗戦国というだけで米国に抗議もできなかった日本政府だ。
戦争というものは人心を狂わせるものだ。毎度のごとく思い出したように中国といい韓国といい、繰り返してくる。日本に軍隊が存在していないことを承知の上での外交戦略というしかないのだが、現在の日本人は米国に押しつけられた平和憲法を鵜のみにして、個人主義が愛国心を踏み躙っている」
義父がつづけようとした言葉は平和ボケした教育者が「日の丸を放棄し、君が代を国家と認めない教育に撤し国家意識を育てるどころか蹂躙した教育にある」日本という固有の国家に属しながら国家に対する愛国心を育てない国があるとは恥辱のなにものでもあるまい。
かつて、中国は文化大革命で先進的なイデオロギーを潰し、天安門事件では同胞に銃を向けた国である。中国全土を震撼させ二つの事象だけ見ても中国国民の本意から発露された反日デモだとは思えない。
韓国とておなじことだ。国民の民意を統一するには「仮想敵国」をつくることが政治のセオリーだ。したがって中国にしても韓国同様、国内に新しい思想が芽生えつつあるのではないだろうかと思われる。
日本と違い二国ともに愛国心に富んだ国のようだ。その違いはあるにしても、現在の繁栄は日本企業の進出によってもたらされた繁栄ではないのか。もし、政情不安を理由にした企業が撤退することになったとしても、技術を習得した二国にとって何ら不自由はないところまできているのであろう。だとすると、人件費の安さだけで進出した企業が多いだけに、かつて英国が日本企業の人件費の安さによって衰退を余儀なくされたように世界のマーケットで勝ち抜く術がなくなる。という懸念がつきまとう。
現実に経済的には成長が予測される中国のマーケットである。このままではマーケットは日本に独占される恐れがある。として中国の巨大なマーケットを日本だけに任せておけるほど世界は甘くはない。
田中角栄が米国に先立って中国に飛び日中友好を成した時、米国は「あの男は何をしでかすかわからない」からといって、唐突にコ-チャン委員会を使ってロッキード事件で首相の首をはねた事実がある。
だとするとこのたびの反日デモの深いところで米国の介入を感じないわけにはいかない。
あのデモの中で暴徒と化した民衆の行為を黙って見つづけていた警察官の態度は何を意味する。世界列強は常に自国の経済的繁栄を第一義に考えているものだ。したがって、すべての戦争に聖戦はない。
戦争の発端は歴史的に経済戦争だと考えてくるとうなずけるのは小生だけであろうか。
愛国心の教育が欠如した日本国の宿命だろうか

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