古史に学ぶ現代の政治家と首長の資質判断

2005/04/18 (Mon)
古史に学ぶ現代の政治家と首長の資質判断春到来だというこの町から槌音が消え、かといって鶯の声が間こえる田舎町でもない。どこまでも中途半端な町である。
町の玄関口たる駅舎は、黒川紀章をして「モーテル風のペーパークラフト」と揶揄された駅前には「米沢牛」の大看板が目立つが、果たして旅人が期待した米沢牛が提供されているのであるか?
米沢市の料理店・レストランや食堂にいたるまでのぼりは「米沢牛」がはためき著名な米沢牛の大合唱だが、各店の材料を賄うだけの米沢牛は屍殺されていないはずだ。ましてや3歳処女牛は都会で高価で取引きされる関係から米沢で消費されることはない。ならば米沢牛の正体とはどんな肉?
上杉まつりが近づいてきて「歴史ある上杉の城下町で米沢牛を賞味して温泉で日々の疲れを癒そう」として米沢を訪れる人々の悪評は辛辣なものだ。「何?これが米沢牛?」「覇気のない上杉軍団だこと? しっかりなさいよ。戦場に向うのでしょうが!」「長ったらしいだけの模擬合戦、せめてニコニコしないで戦ってみせてよ」
元はといえば上杉120万石からの転落しつづけた城下町のなれのはてが色濃く残っている町、観光客の鋭い分析が容赦なくわが町を直撃する。
シャッター通りも恥ずかしいが、ギャラリーまでのアプローチがもっと惨めすぎる。「これが歴史と文化の町」を表明する米沢市の実態なのだ。人ごとのように笑ってすまされるものではない。それでいて「米沢市民歌」があり「米沢市民憲章」も存在しているはずなのだが箪笥の隅に押し込めているのであるか。それとも市民憲章の理念と現実の格差があまりにもありすぎて恥じ入る由であるか。
この沈滞は米沢市歴代市長のリーダーたる資質に問題が山積していることによる。市民はだれ一人としてその責任を追求することはない。官に対する盲信と従順さだけは見事な市民性かも知れない。
そこで「八物語 上」を引用する。われらの首長にあてはめO×をつけてみよう。
君主
□賢ならば
□愚ならば
世は
□治まり
□乱れ
賢人は
□上にあり
□下にあり
上の者
□不義の策略をとれば
□信義に背けば
□小人をのさばらせば
□わがまま過ごせば
□粗暴で非道を働けば
□我が身の利益にふければ
必ず下において
□君主を殺す臣下が出る
□内乱の災いを招く
□不正に対する恨みが出る
□服従しない者が出る
□乱を好む者が出る
□民衆は盗賊として働く
国を治めるにあたって、つぎの八つの要点がある。
○賢人をよく知って、日照りに大雨を降らすようにすること。
○小人を遠ざけ私心を去 って道理に従うこと。
○儒学の真実の教えを実践すること。
○戦争の法則と技術をよく身につけ、指揮者を正しく選ぶこと。
○天下国家の安定と子孫の末長い繁栄をめざすこと。
○天下の乱れる時期を知ること。
○やもめや孤児など不遇な者に真情をもって哀れみ恵むこと。
○人間本来の正道を守って動揺せぬこと。
現実を直視したあなたの○×は如何に

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