行政とは勝手なことをするものだ。(高山市の場合だけであるか)

2005/03/18 (Fri)
行政とは勝手なことをするものだ。(高山市の場合だけであるか)岐阜高山市の場合、全国各地から届けられた水害による義援金約6000万円のうち、被害者に4500万円を配って残りの約1500万円を市の積立金としたことがわかった。
市長は「今後の災害に備えるものとして積み立てた」と弁明しているが、災害に遭った市民としては「今後の事より、今が大変な時だ」として行政の処置を非難している。
行政の弁明がつづく「合併を前にして積み立てした義援金は高山市だけのものでなくなったから、使うわけにはいかない」とわけのわからないことを言っている。
前段は高山市の話だが、山形市役所の職員に対する旅行券などの配布などなど、全国いたるところの役所では「金を見ると」どうも「クソに蝿がたかる」がごとく卑しい配分を考えるものらしい。
行政が膨大な赤字を抱えているにも関わらずボーナスはキチンと貰える不思議さ。通常、赤字の会社ではボーナスは支給されないものと社員は熟知しているものだ。
さて、行政の年度末を控えて、使い残した予算の無駄使いがはじまるシーズンである。いかにも正当な購入をしたように「相見積り」が頼まれてくる。
同じ仕事をした上で、予算を残したならそれは誉められるべきものだが、行政とはそのような判断をしないところらしい。予算を残すような部署は、仕事をしなかったとして烙印を押され、次年度から予算が減らされるものらしい。だから、各部署では予算を使い果すために努力する。 一般感覚では考えられないことをするのが行政というものであるらしい。
本会の住民監査の不備をつかれた議員監査委員の遠藤宏三氏は「監査委員会には限界がある。たとえ、監査委員会が精査不備を犯したとしても、監査委員会が行政側にある以上、市民の訴えに応える必要はない」と、行政擁護と受け取られる発言をして電話を切った。
遠藤宏三議員よ、なんという心得違いをしているのだ。
小生は「安田道隆 監査委員」「遠藤宏三 監査委員」宛に次の文章を配達記録郵便で送達しているはずである。
◆ 監査委員制度
監査委員制度は、昭和21年の第一次地方制度改正によって初めて設けられた制度であり、その後制定された地方自治法において、監査委員は、長の指揮監督を受けない独立の第三者執行機関の一つとして法律の上で明確に位置付けられました。
◆ 監査委員
主として地方公共団体の財務に関することと経営に係る事業の管理を監査する執行機関です。監査委員は、独任制といって合議制による委員会(教育委員会や選挙管理委員会など)とは異なり、一人ひとりが独立して職務を遂行し意思を決定するのが原則とされています。
地方自治法において、監査委員は監査の結果に関する報告を公表することが義務付けられていることからも明らかなように、住民に地方行政に対する批判の材料を提供するとともに、住民の地方行政に対する知識と信頼を深め、自治体に関する関心を喚起し、住民自治を具体化することにあります。(一般的法の解釈)
以上のごとく監査委員会が行政の茶坊主的存在でないことは明確ではないか、「市民の訴えに応える必要はない」とは何たる暴言か。
年間一千数百万円を、市民の税金から報酬として受け取る委員として、市民の訴えに耳を傾けるのは当然の道義的責任というものだろう。
監査委員の精査不備による判断ミスさえも認めようとしない、議員の高慢な態度はどこからくるものだろうか。
与えられた権力を武器として、行政面と法律に弱い市民をいたぶるのが監査委員であるか。
市民を納得させる能力の無い人物の職員ほど権力を行使したがるものだ。
来期、古紙問題は行政の「逃げ場がなくなる」ことが必至だ。従来のように行政のマヤカシを是認するほど市民は甘くない。
本会は米沢市民に多大な損失を与え続けている環境生活部への追求の手を決して緩めない。

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