FC2ブログ
2021 05 « 1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30. »  2021 07

「共同」と「和合」は生きるための知恵

kage

2005/03/13 (Sun)

「共同」と「和合」は生きるための知恵

 「たけしの地球極限!奇跡の旅」をテレビで観て考えさせられることが多かった。
番組の趣旨は地球上最悪といわれる極限に生きる人々の生活をドキュメントしたもので、極寒のグリーンランドで暮らす人々、高温で乾燥したアフリカ・ナミビアの生活、アンデス4600mの髙地で生活を営む天空の村人の暮らし、そして一生涯海上で暮らす世界唯一の海洋民族フィリピン・スルー海を訪ね、驚愕の「生きる」という原点に立脚した番組だった。夜の更けるのも知らず、まんじりともせずに番組に食い入っていた。
御覧になった方々も多いことだろうが、「生きる」ために人間はどんな努力も惜しまないものであるかに私は痛烈な感動を覚えた。

 まず人間の原点は「生きる」ことにある。そのためにはその場で暮らしている人々が大切に守りぬいている「共同と和合」であることがわかる。
 草木が一本も生えない天空の村の知恵は、ジャガイモの栽培を成功させ、それらを乾燥させて保存食とし飢えることなく村を存続させてきた。
 グリーンランドに住む少数民族はアザラシ猟が唯一の生きるための方策、そしてアフリカ・ナイビアは草を求めて放浪する文字をもたない牧畜の民族である。
 いずれも等しく教えられることは、毎日の生活が共同の作業によって賄われ、食事はその地域の人々が一同に介して楽しむ風景だった。

 我が国でも食事の時間に家族が集まって食べたものである。
 その関係が廃れて現在は家族間の交流にかげりが生じている。連合軍の敗戦処理は「日本の家族関係を崩壊させる」ことであった。まさしく、日本家族は核家族化し、食事の形態もご都合主義となり、出勤する主人の弁当すら作らない主婦の出現となった。
 こんな風では極限の地で暮らせるわけがない。人間が「生きる」という本質には「食にありつく」という厳しい現実がある。
 日本人はその本質を忘れている。見渡せば欲しいだけの食物が店頭に並べられていて、走ったり、潜ったり肉体を駆して獲得する食物は無く、簡単に「貨幣」という経済に支えられているだけのことだ。
 戦争を体験した人なら容易に理解されることだが、団塊の世代に説明しても現実論として聞く耳すらもたない。

 幸せなことに3人の娘たちは、常に三世代の中に育ち、祖母もまじえた毎日の食事の会話の中で、学校のことや友達関係などがわかり、なによりも家族一緒の食事から家族たちの健康の状態が掴めた。
 どんなに少量の菓子も家族の数で分けて食べる。決して賛をこらした食卓ではなかったが、調理に工夫があった。娘たち3人は親の手を放れて社会人の仲間入りをして行ったが、食事は家族そろって食べることに撤しているようだ。
 人間が「生きる」原点は「食べる」という不可欠な原則によるものだが、日本人に欠けているのは「一緒に食卓を楽しむ」という家族間の愛情なのであろう。所詮、生意気なことを言っても人間は一人だけでは生きられない群れた動物なのだから。

コメントフォーム

kage


URL:




Comment:

Password:

Secret:

管理者にだけ表示を許可する

この記事へのトラックバック