堤コクド王国の崩壊に思う。

2005/03/05 (Sat)
堤コクド王国の崩壊に思う。長野冬期オリンピック開催時前、元金沢山形市長が県を巻き込んで他の候補地に並んで誘致合戦に乗り出した時期を思い出す。
「山形も派手な誘致合戦に乗り出していますが、堤西部のアテ馬にすぎませんよ。堤西部があれだけ長野に資本を投じているのですから、開催地は長野に決定間違いない事実ですよ」と、当時山形の田舎だという私に断言したのは某大学教授で東京オリンピックの演出団に加わっていたという人物だった。
舞台作家の仲間に誘われてモスコウ芸術座公演の「かもめ」を日生劇場で観劇したあとの懇親会でのことだった。「オリンピックの開催国が決まってからはじめた誘致運動なんて、すべてがアテ馬です。開催地はとうに決定しているんですよ。もうすでに巨大な投資と駆け引きは済んでいるんです」
ことオリンピックといえども、国家対国家のビジネスである。したがって堤王国に異義をはさめない腰抜けIOC委員どもは堤王国のいいなりであったことは間違いない事実だったようだ。
さっそく金沢市長に電話で申し上げたところ、さすがに田舎市長、よほどメンツが台無しにされたのであろう「おまえごときに何がわかるかッ!」と一喝。
私は「IOC委員の投票はおそらく山形はゼロ票でしょう」といって電話を切った。数週間後の投票結果は案の定ゼロ票だった。
白馬にはオリンピックの数十年も前から劇作の取材に通いつめた私である。あの小さな雪国の村で何が囁かれていたかぐらい誰にでも察知できたものである。
「われらが蔵王・斎藤茂吉の故郷思考」程度で世界のビジネスを動かせると夢見た田舎的な発想しかもたない市長だった。はじめから世界の展望をもたなかった田舎市長の蔵王讃歌の御粗末な結果だと笑ってはすまされない。
その堤帝国・近江商人の崩壊は、戦国時代の近江の油売り斎藤道三の末路を思い出すではないか。
道三の元居城・岐阜城は「呪われた城」として、今もって空き城であることは知られた話。

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