成人式実行委員会のみなさんに一言

2005/02/16 (Wed)
成人式実行委員会のみなさんに一言若いということはすばらしいことだ。どんな未来も望めば自分の手の中にある。一人ひとりがデッカイ夢に囲まれてよい。それが若者の特権だから。
社会にはばたいてゆく君たちに一言だけ耳を傾けてほしいことがある。冬の競技の華とされるスキージャンプ競技の目標はより遠くまで飛ぶことにある。急勾配のアプローチを急速に下り、台を蹴って空中に飛び出して行く。あの競技にも鉄則がある。鉄則を追って日夜ジャンパーは努力するのだ。
①アプローチを滑り下りる姿勢が完壁であれば
②台を踏み切る完壁なサッツで、空中姿勢が保たれる。
③完壁な空中姿勢が、より遠くにジャンパーを運ぶのだ。
スポーツの全ての競技に通ずることだが、より遠く、より高く跳ぶためには跳ぶ瞬間まで力をため姿勢を低くする「こごむ姿勢」が必要条件となる。
伸びきったバネやゼンマイのように、体を伸ばしたままではジャンプができない。おなじ理屈で社会に飛び出すと、自分流の解釈だけで行動できない場面が住々に出てくるものだ。それらの抵抗を少なくするために自分で学び備えておかねばならない社会には常識というものがある。
まず、先輩の言葉に耳を傾け式典での祝辞や訓示などに、仮に意に沿わないとしても、祝福される者たちの儀礼として節度をわきまえた態度で接することが大事なことのひとつだ。
社会では時間の厳守はもとより、上司の話中に私的な駄弁を労したらどうなるか。社会では決して許されるものではない。
成人式は日本国家の公式な行事である。それだけに式典に望む人間として厳粛に受けとめた態度で会場におもむく謙虚な心根でありたい。
係員の入場願いの掛け声を尻目に、私語に興じる人々は誰の目からも醜いものだ。会場に遅れた人たちはシャットアウトし、会場と場外とを区別するぐらいの節度ある会場設営と運営が肝心だと考える。「折角着飾って会場に集まったのに」などの非難は無視するぐらいの覚悟がないと教育的見地から運営はできないと考えてよい。
会場に入らないでいる人たちには社会のキマリを肌で教育してみせることだ。仮に意に沿わない祝辞や訓示であっても「ヤメロッ!」などの暴言を吐くような不届き者は即時退去命令を出すことの勇気が不可欠であろう。
安部米沢市長は「17年度の成人式は実行要員会組織で」と見せ掛けは開かれた市長に見えても、内容は成人式を挙行する自信喪失が本音である。 各地で荒れる成人式である。だからこそ教育の市を標榜する以上、不埒者の出現を防止し、会場が私語で占拠されるような会場の設営は知恵がなさ過ぎるというものだ。
主催者が被祝福者たちに実行方を任せて、想定される責任を実行委員会にふって責任を逃れようとする意図が見え見えだ。「成人式に集まるのはたくさんの友人と会うため。つまらない祝辞などは迷惑。式典より新成人同士が集う楽しきパーティ風を重視する」という実行委員の本音のようだ。
が、君たちは伸びたバネのままで社会に出るつもりであるか。

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