竈に煙が立つのはいつの日か

2005/02/09 (Wed)
竈に煙が立つのはいつの日か何十年ぶりだという豪雪との日々を闘う市民の疲弊した姿を見ながら事務所に向かう小生の目に映るのは、明かりの灯らない小売店の多さだ。
香港島や九竜地区をおとずれた人なら納得がいくが、有名な香港の夜景とはうらはらに日中は明かりの灯らない大店舗が多い。観光客目当ての店舗がそうで観光バスが到着するまでは店舗の中は真っ暗である。バスが到着すると慌てたようにして店内に明かりが灯る。交通機関がいまいちの香港島や九竜地区の目抜き通りは別として、町はずれに構えている店舗には一様に明かりが点灯していることはない。明かり消えた米沢市内の通りを見て香港島の商店街を思い出す。
小売店の仕事はあくまでも来客を待つ姿勢にある。店舗のガラスを磨き品揃えに気を配りながら、客を歓迎する心根を保ち一日を商売に撤したものである。いま街からその商人の心意気が消えつつあるように思える。来客があるとしても決まった客だけがくるだけで、新しい客を望むべくもない。ならば電気や暖房代が無駄である。店の体裁のために仕入れを起こしたところで客は安価な大型店で購入する。仕入れた商品は単なる店番にして型遅れの売れない商品になる。まず、家庭電化製品の小売店から品物が消え明かりも消えた。街のどこにもあった八百屋や魚店が消え、車を持たない年寄家族は不便さを嘆く。
これが時流だと言ってしまえばそれまでのことだ。が、なぜか割り切れないものがあって無性に淋しくなる。経済至上主義の落し子だとはいえ生計を小売商に求めてきた人たちにとって、竈に煙の立つ日はあるのだろうか。
問題の中央商店街再開発地区の真っ只中にいる人たちの本音は「補償金で現在の土地が売れたら商売をたたんで撤退する」と語る人たちが大半のようだと聞く。大方の住民は小売商の人だから時流に竿さすことの惨めさを骨の髄までしみ込んでいるからに違いない。いよいよ経済至上主義の影響が人間本来の地域住民の融和を蹴散らし生活の格差は広がりを見せていくだけだ。
行政にこの危機感は薄く税金の無駄遣いに相変わらずの無頓着ぶり。三位一体の皺寄せを国民への支給減と増税で成立させようとする、国民にとって最悪な政策の実現だが、これも国民の税金と巨額な貯蓄を無駄に遣った高級公務員たちのツケの結果だと思うと怒りは心頭に達する。
民主主義国家だといいながら高級官僚たちが己れの利得権のためにだけ跋扈する北朝鮮と何処が違うというのだ。
「来ない客を待つのは無駄というもの、早晩店を閉めて大型店の従業員となり糊口の生活に入るべき」とは政府の本音であるか!?

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