年末に響かせたい第九の歓喜

2004/12/28 (Tue)
年末に響かせたい第九の歓喜年耒の楽しみといえば「NHK全国小中高校の合唱コンクール」と「NHK音楽コンクール」である。
合唱コンクールの質は年とともに向上しているのが伺えるものの置賜地方からの出場校が皆無なのは淋しい。生徒たちの能力に差はないはずだが、各校の指導者による統率力と音楽を解する感性とがその差を広げるのであろう。
米沢市が市政百周年記念事業として行なった山形交響楽団とともに市民有志が歌いあげた第九の歓喜は、毎年末行事として米沢市が行なって然るべき行事だと提言してきた。が、残念ながら米沢市にはその理解する感性がないのだ。
今年は長井市や上の山市で歌われたが、長井市は東京芸術大学と市民とのジョイントであり、上の山市は山響との共演であった。いえることはどちらの市でも会場は聴衆で立ち員が出ていたが、米沢市にかぎって淋しいことに空席が目立つ歓喜の会場であった。
毎年、国技館で行なわれている東京墨田区主催の第九の演奏会には全国各地から参加する歌い手が制限を越える勢いだと聞いている。
必ずしも継続が文化を根づかせる要因ではないとしても墨田区が全国の愛好者の夢を育んでいることは確かなことだ。
昨日、米沢出身のピアニスト大野木はるか氏の演奏会を聴いた。
興讓館から国立に進みピアノ部門を首席で卒業された才媛だと会場で知った。プログラムの多くは聞き慣れない曲で技巧的なピアノ曲であり、リストのラ・カンバネラに至り、ホットするような具合で難曲ぞろいの演奏会であり見事な技術の演奏であった。
こんなに優れた演奏家が米沢に住んでおられることに改めて乾杯しできるなら毎年彼女の定期演奏会を開くことが、市民憲章が唱える文化の町に寄与することになるのではあるまいかと考えて帰路についたものだ。
会場にはなぜか音楽関係者が少なく、やはり米沢かなと思わせる雰囲気を感じとってきたものである。
山の分校で家庭教師をしていた時期に聴いた幻想即興曲が懐かしく青春時代を振り返りながら満ち足りた気分で車を走らせていた。
本物よ、胸を張って世に出でよ。エセ文化人の跋扈を許す米沢市である。
これでは米沢市の文化的未来はない。

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