江戸の昔から今も変わらぬものは?

2004/11/22 (Mon)
江戸の昔から今も変わらぬものは?秋晴れの国立劇場で招かれるまま河竹黙阿弥「噂音菊柳沢騒動」上演時間5時間になんなんとする通し狂言を観劇した。
初演は明治八年中村座であるから、今回の所演は百数十年ぶりの復刻狂言ということになる。内容は徳川綱吉の寵愛を受けて側用人から異例の出世で大老になった柳沢出羽守吉保と木場の船宿の亭主を表裏に配し「人間とは役人庶民ともに金と出世のためには手練手管を命がけで弄するもの」という風刺狂言である。
北へ帰る夜汽車の中でふと追求している古紙問題を考えさせられた。行政担当者と再生資源協同組合との関係。そして当該協同組合の理事長と収集古紙を一手に相場の半額以下で買取りした山形古紙回収株式会社の会長が同一人物だったことなどなどである。この事実を行政が黙認していた事実は否定できない。結果は原廣吉の手練手管で行政が騙されたものか、毒饅頭の攻撃にひれ伏してしまったものであるか? この庶民感情を下衆の勘繰りと一刀のもとに斬り捨てるには無理がある。
随意契約とは行政がもっとも慎まねばならぬ契約形態である。常時当該協同組合の監査をしている担当部長は「正当な決算報告」と議会で答弁しているが、正当な決算報告書のカラクリには原廣吉経営の「山形古紙回収の中間利潤抜き行為」が行なわれていたことは熟知していたはずだ。不思議なことに吉田環境生活部長が表舞台を課長および課長補佐に任せて逃げをうっている現況だ。本会の追求に現在の職席の保身にまわったものであろう。
立身出世や金のためには、人間とは手段を選ばないものだと昨日の狂言は示唆してあまりあるものだったが、今なお行政と業者との癒着汚職は絶えることはないということであるか。

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