近藤勇の頭部が「米沢市に埋葬」の記事を読んで思うこと

2004/11/11 (Thu)
近藤勇の頭部が「米沢市に埋葬」の記事を読んで思うこと山形新聞のコラムを持って友人が尋ねてきた。「米沢に近藤勇の頭部が埋葬されていると書いてあるが本当だろうか?」
私の記憶の中には近藤勇が米沢の地を踏んだという記録を知らない。 近藤勇新撰組局長は、戊辰の役によって解体した新撰組から逃亡し、百姓姿に身をやつし千葉流れ山の地に潜んでいたところを不意打に合い、江戸で処刑されたことになっている。しかも、京都三条河原に晒されたことになっている。
会津若松市には土方歳三が建立した近藤勇の墓が天寧寺の裏山にある。 会津史談会に問い合せたら「遺髪」と伝えられているという。 会津では近藤ではなく土方歳三が知られている。歳三は官軍の会津攻撃の際応援にきて共に戦ってくれた人物だからである。歳三は米沢にも援軍依頼にきたが、米沢は動かず敗戦を察知して庄内におもむき船で函館にゆく。
勇の身体は処刑された後、遺体はバラバラにされているから墓が多いのは当然のことで歴史的な不合理はない。 ところで、頭部となると少々疑問は残るが、米沢市に持ち帰り埋葬されているという話はあながちマユツバものだとは言い切れないだろう。 いまさら、真偽を探るゲームよりは米沢市の一名所として全国にPRしても良いのではなかろうか。
それにしても大事なことは「それなりに観光客を納得させるような万全の準備」が必要であろう。

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