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おしょうしな演劇祭を観て

kage

2004/11/03 (Wed)

おしょうしな演劇祭を観て

 「おしょうしな演劇祭・音楽祭」だれが命名したものかダサイネーミングである。仕事柄、プロの劇団との交流が多く、昨年の国文祭りで小国町の劇団から拙作の上演依頼があり久しぶりのアマチュア劇団の指導をしたが、郷里で活躍する劇団の公演を鑑賞するのは数十年ぶりであった。
4団体の舞台を観た感想とわずかな助言を付け加えてみた。

劇団ひろはた座「しゃぼん玉とんだ」
 地域に根ざした理想的な活動の場をもった劇団で、青年演劇で全国優勝の実績をもった劇団である。結成20年という歴史と、原作から脚本とすべて劇団員の創作になる地元密着型の舞台構成である。が、テーマのわりに2時間の舞台には単調のそしりが残る。1時間にまとめあげてはどうだろうか。
テレビの影響だろうか、観客へのサービス精神からであろうか、観客に受けようとする不必要なセリフが多々観られる。これは断じて避けるべきであろう。

劇団スピリッツ「悪の組織の作り方」
 俳優の声量は十分過ぎるが、セリフのイントネーションが不味すぎる。ゆえに舞台が破綻し観客がついて行けない。ようするに役者が観客に伝える技術に欠けているのだ。舞台人の原則中の原則を無視した舞台だった。
取り上げた脚本も幼い。したがって観客の感動を望むべくもなかった。舞台人の喜びは観客とのフィードバックに支えられることにある。役者の動きはたしかなものだけに作品の選定、言葉の伝達の仕方に一考あらんことを。

劇団まみむめも「風の町又三郎」
 三中父兄会の舞台。幕開きで賢二がホリゾントの明かりをバックに登場。シルエットを使っての幻想的な場面にはハット息をのむような演出力を感じた。が、賢二の独白があまりにも賢二の哲学的な叫びとなって未消化の舞台となってしまった。舞台構成とは緻密な感性を必要とするものである。又三郎が田舎町に残したものは何であったろうか? 村に吹いた風とは? 村人の感性は?
この解釈に賢二のすべてが凝縮されているはずだ。原曲はもっと奥の深い曲想をもったもので原曲の楽譜も残されている。おそらく曲をつけられたものであろうが、ならばミユージカル風な舞台に作られた方が楽しいものになったに違いない。楽しくも惜しい舞台になったようだ。

劇団ぬ-ぼ-「人を喰った話」
 公演回数がダントツの歴史を持つ劇団だけに舞台のノウハウを熟知した演出力はさすがだ。舞台俳優には多少オーバーアクション気味なところもあったが、観客へのサービス精神だと考えて許されるべきものであろう。全体にまとまっていて破綻のない舞台だと思えた。

 劇場に腰をおろして観客の少なさに驚いた。舞台の原点は演ずる人と観客との交流にある。かつて観客の求めない新劇・アングラ演劇集団が観客を失ってきた。演劇は古今東西を通じて面白く、人々にそれぞれの感動を与えてきたものだった。観客を動員できる劇団を目標にした舞台活動こそが望ましい。演する者だけか悦に入り、観客の感性を無視するような舞台作りは、もはや演劇人とは呼べまい。地元で演劇活動を展開する以上、地元民が期待する舞台を模索しなければなるまい。立錐の余地もない劇場で地元の公演を観たいものである。

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