伊達政宗にまつわる怪奇!!(1)

2015/02/02 (Mon)
伊達政宗にまつわる怪奇!!(1)◆舘山発電所は政宗の居城
現在の舘山発電所は、伊達政宗が主郭(本丸)とした「舘山城ではないか?」との見立てから発掘調査が行なわれ、約6千万円の公金が投入された。
そして調査から、伊達時代とする石垣や内耳土鍋等が発掘された事により、政宗居城説が有力視され、上杉神社参道にその事を記した看板が建てられた。

しかし、本市在住アマチュア歴史研究家「伊藤氏」が告白状をもって政宗居城説に疑義を呈したことから、石垣の普請は上杉時代に変更され新聞等でも大きく取り上げられた。
◆伊達政宗の舘山城は「おなり山(ジャンプ台下)」
昭和19年の大がかりな調査により、舘山城は「おなり山(ジャンプ台下)」で有ることが米沢市史中世編に記述され、舘山「一の坂」にそれを説明する看板も建てられた。

これが長い間定着した説である。
◆文化課に糺す
伊達政宗関連の舘山城は「おなり山説」か「舘山発電所説」かを文化課に糺すと『「おなり山説」は資料も根拠も無く、「舘山発電所説」を採用するので、舘山「一の坂」の看板は撤去する。』と回答した。
◆手塚孝氏と小保方氏
伊達政宗の築城計画は「おなり山(ジャンプ台下)」とする説を覆す、舘山発電所説は、「手塚孝文化課文化財担当」がブチ上げたものだ。
米沢市史記載の説を覆す訳であるから、それなりの裏付け資料が必要であることから情報公開条例により「伊達政宗が舘山発電所の城に関わった事を証する資料」の開示を求めた結果、何の裏付け資料も無く、スタップ細胞の小保方氏と同じ手法で有ることが判明した。
反面、米沢市史に記載の通り「おなり山説」には多くの資料が存在することから、文化課は上杉神社の看板を書換え、舘山「一の坂」の看板撤去は撤回することに同意した。
◆観光課の怪奇
現在、舘山「一の坂」の看板は、下の写真のように判読できないように作業が行なわれた。
看板の管理は観光課と言う事で、その理由を糺すと「老朽化したので安全性の問題から春に撤去するので」との事だ。
それでは、何故文面を隠さなければならないのであろうか。文面を隠すと安全性が保たれるとでも言うのであろうか?

◆深まる疑義
手塚孝氏の舘山城説には、安部三十郎・地権者・文化課・観光課を巻き込む根の深い「黒い噂」が有り、追って報告する予定である。

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この記事へのコメント

仙台市史や治家記録に「館山」と記載がありますが、どうなのでしょうか。
おなり山に行った事がないので何とも言えませんが、発電所のほうは遺構など素晴らしかったです。
蒲生氏や上杉氏に1からあの城を普請するのは無理かと。
個人的には伊達氏が築城、上杉氏が改修と感じました。
米沢市史は拝読していないので、今度読んでみたいと思います。
興味深い地元のかたの話が読めてよかったです。
ありがとうございます。
Posted at 22:14:24 2015/04/17 by 橘
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