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書込みを読みながら考えること

kage

2004/10/21 (Thu)

書込みを読みながら考えること
 小生の生き方を是としない方々が多いのに驚きを感じている。
書込み氏の大半は小生を「強請りたかり」の人物だと想定し、米沢の裏街道を歩いてきた人物だと定義されているようだ。どのように想定されようと書込み氏の自由意志に基づく評価だからそれを非難する気持ちはない。彼らの人物評は必ずしもあたっていないからだ。

郷土が誇らねばならない人物に雲井龍雄という人物がいた。維新後の新政府を転覆しようとして天下に名を成した人物である。多くの著書は彼を政治犯として捉えないで、詩人として言葉を濁している。
彼の縁戚にあたる著者はこともあろうに冤罪だったとして、今以て龍雄の冤罪を晴らそう努力しておられる。はたしてそうだっただろうか。小生は、雲井龍雄は命を賭けて新政府転覆を策した人物だと断定する。そこに龍雄から学ぶものがあると信じている。考えれば考えるほど新政府の龍雄弾劾は怪しいものだ。

龍雄が処刑されたのは明治3年12月27日の早朝である。が、その1週間前に大政官は斬首刑の廃止を全国に布告しているのである。布告したあとの斬首である。いかに新政府が龍雄一味の存在を恐れたかがわかる。
米沢藩は龍雄の存在によって新政府から睨まれるのをただただ恐れおののいていたに過ぎない。米沢人根性は今以て米沢人にひきつがれていると認識すべきであろう。したがってお上に挑戦するなどの行為は米沢人にとって異端視されるのが当然のことである。

事実を伝えるに腰が引けた多くの著者がそうであるように、小生は舞台の上に龍雄を揚げたが、郷土の人間として真実を曲げざるをえなかった。戯曲はそれなりに好評だったが、責任上龍雄の政府転覆の事実を小説で勝負することにした。そうすることで、読者に事実の目で龍雄という郷士の英傑を見なおし、郷里に見離され孤独な闘いを新政府に挑んで命を断たれた雲井龍雄の無念さを米沢人に訴えてみたい。特に龍雄と同年代の青年たちに問い掛けてみたい。彼らの反応はどんなであろうか。
日本に教育が失われて60年、戦勝国の思惑通りに日本人は家族を崩壊し青年たちの骨抜きに成功した。これが現実に崩落した日本国の現状である。

国家百年の計をつかさどる政治は混迷し、政府高官は汚職にまぎれ自己保身に汲々としているブザマぶりで、次代を担うべき青年たちは経済至上主義と学歴社会に流され、青年の大多数が役人指向のようだ。
国民に国家意識が育っていたならば青年たちの中には青雲の志に燃える人物も出たであろう。歴史は時々によって人物評価を変えるものである。お上にとって都合の悪い人物は排他する。それが為政者が行なうもっとも安易な策であり、正当化して恥じない。

かつて米沢藩が龍雄を捕縛し、新政府に送り付けた歴史的事実は永遠に米沢藩の弱腰を証明するものであり、お上に弱いという DNAだけが米沢人に受け継がれているのであろう。
悪玉会長が率いる鬼の会は米沢人にとって迷惑至極な存在なのであろう。小生は雲井龍雄のごとき大人物とはほど遠い存在だが、米沢人のようにお上に手をすり足をするような冬の蝿でもない。 しかも、書込氏が評価するような「強請りやたかり」で糊口を満たしている人間ではない。米沢の特徴として、表舞台に出てはならない人物が如何に多いことか。そしてそれらの哲学を持たない人物たちが、米沢市の方向をネジ曲げていることを慨嘆するだけでは米沢に将来はない。

本会は多くの人の参加を望んではいない。本会の運動には勇気と忍耐とに加えて正義を追求する英知が必要となるからだ。本会の思想は「郷土米沢の塩」たる理念に支えられているからだ。

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