米沢市は限りなく疲弊した町になるのか?!

2004/10/19 (Tue)
米沢市は限りなく疲弊した町になるのか?!町から八百屋.魚屋などの個人商店の灯が消えて久しい。ほどなく米屋・酒屋などの灯も消えて行く運命に曝されているが、これらの原因は大型店の出現による時代的な趨勢だと決めつけるにはあまりにも哀れな現状である。
「車がないので買物もできない」と嘆く老人家庭を考える度に、各町内にはあった小さな店舗の壊滅が惜しい。ほどなく豪雪の町に様代わりする町である。老人はどこで買物を満たすのであろうか。除雪は必ずしも老人を保護する立場を考慮した作業形態ではない。道端に広い場所があると除雪した雪を山積みして老人を困らせている。除雪車が過ぎていくと老人たちが外に出て、さらなる除雪作業を強いられる。これが現実の行政であり、除雪で嘆く老人たちの姿はいくらでも見かける風景である。行政はあくまでも弱者保護の立場を貫くという本質を根底に持たなければならない。それが米沢市行政に欠ける第一の欠点である。
最近になって本会に「行政不満」を訴えてくる各業界からの声や書簡が届いてくるようになった。いわゆる「官高民低」の形相が目立つようになってきたというものである。
業界の談合は禁止された縛りだから見逃すわけには行かないものの、公共事業の発注が大幅に削減された現状では、どこの業界も「背に腹は替えられない」として、肝心の融和が失われ弱肉強食の業界内の叩き合いが始まっている。
弱い体質の会社を潰しライバル企業の数を減らそうとする生存競争がすでに巷に表れていると考えてよい。
人は「公共事業の発注が3分の1におちたのならば、職員の数もそれに応じた数で対応すべきだ」と主張する。なるほど経済原理からすれば当然の理である。民間企業では生き残りを賭けて当然のことながらリストラが行なわれる。が、公務員にはそれが適用されない。したがって公務員に緊張感が造成されず相変わらず怠惰な行政感覚を正常な感覚だと捉えているのだ。
役人根性という言葉が今も生きているうらには「高官低民」の思想が今以て生き長らえている証左なのだ。公務員は公僕という戦後民主主義の思想は今はない。あるのは身分保証の上にアグラをかいた市民蔑視の対応である。

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