物事を決定するのに、視点をどこに置くかが問題となる?!

2004/09/29 (Wed)
物事を決定するのに、視点をどこに置くかが問題となる?!世の中は澄むと濁るで大違い「刷毛に毛があり、禿に毛がなし」である。
とくに今をときめく政治家先生や公務員などにみられるのだが、物事を判断する視点とか起点に問題が多い。国民や市民の側に立った利益に視点をおかず、こともあろうに自己を中心とした利益を優先させている事例が多い。
いわゆる収賄罪に抵触すれずれをくぐり抜けている御仁が目立つこの頃の日本であり、米沢市である。
そのキッカケとなるのは許認可権をもつ政治家および役人と、業者の癒着であろう。業者は受注販売によって成立する企業であることから、日夜営業努力の結果、贈賄罪を承知の上で行なうのであろうが、これには憎めないものがある。が、国民や市民の税金で食っている政治家や役人の収賄は絶対に許せるものではない。
商品券を鷲掴みして、ある政治家夫人が買物をしている姿を多数の市民が目撃談を寄せている。今の商品券はつり銭が出るから小額の買物に多額の商品券を出している行為は、あきらかにつり銭稼ぎだとしか思えないのだという。
人間というもの「金と異性」に弱いものだ。これば古今東西を問わず歴史の証明するところである。ゴマンとある事例を憂いてありあまる現実である。
本日入ってきた報は、入札社が落札社の下請けをしているという業者からの電話である。さっそく当該社に事実確認をしたところいずれの社も否定した。が、実際にはどうだろうか。工事現場で証拠を残さないため、自社の社名の入った車を隠すために磁石入りシートに請負社名を書いたシートを張りつけて現場入りするのである。
市はこの行為を見て見ぬ振りをしているのが普通のことだという。市の建設課の係員に電話で糾したところ「それが事実ならただちに中止させます」との返事だった。
政治家や公務員たちは仕事上の過ちを指摘されても、非を認めたがらず最後まで逃げ隠れしようとして白を切るものだ。
本会が指摘している環境生活課は広報まで使って市民の目を眩まそうとしている事実を鈴木吉郎氏に指摘され、地元新聞に掲載されてさえ非を認めようとしないで開き直っている状態をつづけている。
物事の判断基準がかくも狂うとは、市民の生き血を吸い生き長らえている吸血鬼的な存在が環境生活課の職員たちなのである。許認可権を持つが故に横着の限りを巧みに利用している公僕とはほど遠い職員たちが現在も巣くっている市役所なのだ。
物事の判断基準が自己中心的であるから、市民の利益につながるはずはない。
いずれ、監査委員の判断が出るであろうが、それに素直に応じる態度があるかなしや。公務員は政治家同様、濁っては物事の判断基準までもが混濁するのだ。

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