本来ならば古紙問題などは市議員が指摘し解決すべき問題ではないか.

2004/07/28 (Wed)
本来ならば古紙問題などは市議員が指摘し解決すべき問題ではないか.本末転倒という言葉がある。たとえば小生ら鬼の会が指摘し提唱している古紙問題は少しずつ市民の中に浸透してきたが、このような行政の不条理にストップさせるのは、鬼の会のような市民からではなくて、市会議員や米沢市行財政改革推進委員会がする仕事だと今も考えている。
これだけ市に損失を与えている古紙問題を、小生ら一市民団体が指摘してさえも彼らに問題意識が生まれないのは不思議な現象であり、極論すれば彼らはいずれも無能な集団であることの証左であろう。救われることは佐藤忠次、小島卓二の2議員が議会で取り上げたことである。
他の議員はおしなべて「3期議員を努めれば議員年金が出るからゆっくり議員年金で暮らすサ。いまさら問題の渦中に入るよりは何もしないほうが立派な人で通る世の中だよ」これが米沢市民を代表する議員たちの偽らない処世術というものであろう。
これら無能な議員を選んだのは米沢市民であるから、汚れたケツは市民が拭かなければないないという代表民主主義の矛盾がある。
形式だけを重んじ、役割の重さを重視しない行政と委員達には、事にあたって男子たる責務の追求が欠けている。
行政もまた都合のよいイエスマンだけの人選に過ぎない。古紙問題は蟻歩ではあるが新任課長らによって意識が改革されつつあるようではある。が、古参部長らの意識改革は程遠いものがある。
いわく、毒饅頭組であろうと疑念は高まるだけだ。
ザワネズミは議員の中にも繁殖しているらしい。「鬼の会などに乗せられていると議員生活が出来なくなるゾ」とか「あんな人物とつきあっているとロクなことがないから、早く身を引け!」などと、おためごしの忠告もあるようだ
書込み氏の大半は古紙問題に触れた意見はなく、破廉恥と思われる個人攻撃に集中している。「詫びろ!」「灰色な人物」「右翼だ」「アカだ」などの足ひっぱりだけの堕論の連続だ。
小生は短足で足長ジイサンでないから引っ張り甲斐もないだろう。はっきり言おう。鬼の会には理念がある。ザワネズミどもに何を言われようとも理念にブレはない。何を書き込もうとも自由ではあるだろう。だが礼儀というものがある。他人のページに土足で入る非礼は許されるものではない。それでも己れの行為が天に恥じることがないと信じるならば、もはや、お主らは破壊することだけに快哉を叫ぶテロだ。
本日の書込みも賑やかなものになるであろうが、年間4000万円の市財源が消えて無くなる古紙問題に一言言及してから悪態の八百も書き込むべし。これは書込み氏への小生の挑戦ではない。少しはまともな視野でホームページを書き込む感覚に期待したいからだ。

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