都会思考は田舎者であることの証

2004/07/03 (Sat)
♪柳あおめる日 ツバメが銀座に飛ぶ日---は、歌の文句だ。が環境の悪化によって銀座でツバメの舞う姿は見られなくなったが、柳並木は健在である。郷愁をそそるような故郷指向は、現在の日本では問題外になったようである。故郷といえば「兎追いしかの山、小鮒釣りしかの川---」で代表されるように、幼き日駆け巡った山野であり、小川のせせらぎであろう。
環境の激変によって、よほどのド田舎でなければ夢にまで見た幼な心が癒される場所はない。
木の香りなつかしい木造の母校を尋ねれば、鉄筋コンクリーの真四角な建物に変わり郷愁どころか、冷たい拒絶感にさえなまれて、なつかしさは途切れてしまう。
校歌も様変わりして思い出のひと片らも残ってはいない。
書込みにある町名変更はご指摘のように行政を代表する愚かしさだと同感する。
小島氏の提唱によって旧町名の復活運動はわずかながら続いているのかも知れないが、町名変革もド田舎的発想だと小生も考える。
アスファルト・ジャングルに疲れ切った都会人たちが、こよなく求めるのは山紫水明の山野であろうし小鮒泳ぐ川面なのであろう。
米沢市が逆さになっても為政者指向の都会化は所詮無理な望みだ。米沢市が生き残りを望むのであれば「城下町の風情を残した日本一の田舎づくり」を策定することだろう。そこから米沢市の明るい未来が見えはじめてくるのではあるまいか。
小野川温泉街を中心とした季節の「ホタル祭り」は大変結構な祭事だが、聞くところによると「ホタルの養殖」などの努力は一切せず、周辺から飛んでくるホタルだけに頼りだけだという。
こんな風ではホタルに郷愁を求めてくる客に失礼だと思わないのであろうか。心がド田舎の旅館主の集まりでは温泉の未来はないのだ。
小野川温泉旅館のもてなしには郷土の産物が色薄く、冷凍食品や既成食品の食膳はあまりにも貧弱というものだ。
中津川地区のホテルで出会った食膳には、郷愁を満喫させて余りある接待であった。プロの仲居がいるわけではない。地域の人達の心のこもった接客態度に癒され、再度、友人、知人を誘って行きたくなる憩いの場である。
あの熱海温泉が今や廃墟同然の温泉地となり、隣の飯坂温泉はみるも無残な過疎温泉地に成り下がりつつある。明日あるために今日の叡知が望まれるのはひとり温泉地域だけじゃない。行政が望まれるのは、米沢市が向かうべき哲学的な方向づけであろう。

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