画布にどんな絵を描くのであろうか

2004/06/24 (Thu)
「夢とは現実について、少しだけ知っているが、十分には知らない人たちが待ちえる特権である」と言ったのは、劇作家山崎正和氏である。画家はどう絵筆を振るうだろうかと、白い画布は人々の夢を誘うが、そこに現実の絵が描かれだすと夢の落差に首をかしげる人も出てくる。
山崎氏の言葉は有権者が政治に託す夢にも通じそうである。画布の余白に何を書き既に形をなした描線にはどう手を加えれば「夢の絵」に近づくのか。参議員選挙が始まる、せめて国民が聞きたいのは、かたくなな自画自賛でも紋切り型の罵詈雑言でもない。
候補者は画布に「日本の未来」を、どのような構図でどのような色彩を持って描き上げようとしているのであろうか。すべての絵が名作であってほしいと願うものの深層では「またもや迷作では」と、候補者たちは国民に見透かされているような画家たちだけでは政治不信は募るだけのこと。
改選に国民の意気が上がらない理由はそこにある。
国政から一転して我が米沢市政。
今朝早くある市議員から電話が入った。本日の本会議で教育委員人事が上程されるという。今までは人事に関するかぎり全員一致の採決が常識であった。したがって、前代未聞の教育長人事ということになる。2議員を除く26議員はなにがしかの党籍をもっている。ましてや自民党籍を持った議員の多い議会だが、教育人事にはいたって無関心だと言う。主義信条不明な人物に大事な教育の要を託して良いものかどうか。採決の結果はどうであろう。
第七次総合計画の審議員の構成メンバーを見ると、いよいよ米沢市政が限りなく赤化傾向が強まってきたと慨嘆する。市長が職権で市長室入口に飾ってある「自由の風」旗、市民は自分のごとく歓迎の意を持って迎え入れたが、今にして思うことは、安部三十郎個人の自由奔放を表記した旗であって、市民の為の自由の表明ではなかったのだ。
米沢市民の多くは故郷の赤化を望んでいる訳はない。崩壊したソビエト連邦の徹を踏む気持ちもなければ、ましてや北朝鮮に学ぶものはない。
安部三十郎の趣味やひとりよがりの赤化思想が市民に蔓延することだけはどんな犠牲を払ったとしても防がなくてはなるまい。
米沢市民にお伺いする。どうか議会を傍聴して頂きたい。そして正当な判断基準を育ててほしいと願います。米沢新聞紙上で鈴木吉郎は「市長答弁に重厚さ無し」と題した論説を書かれている。ぜひ拝読されたし。安部市長の能力欠乏さが浮き彫りされてくる。
書き込みに感謝 -アクセス数 5万5千を突破!
おかげさまで鬼の会のホームページのアクセス数は本日で55,230. 書き込みの数も増えてきた。感動させる書き込みをあれば、低脳丸出し、意味不詳の書き込みもあって賑々しいことしきりである。

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