「上杉鷹山公」

2014/11/06 (Thu)
「上杉鷹山公」◆安部市長の歴史観
父のジョン・F・ケネディ元大統領が、尊敬する日本人に「上杉鷹山公」の名前をあげた事から、過日、キャロライン・ケネディ駐日米大使が米沢市を訪れ、県・市あげての熱烈歓迎の「なせばなる秋まつり」であった。
その時、大使及び吉村県知事は、「上杉鷹山公」と「公」の敬称を付けてのスピーチだったが、安部三十郎市長は「上杉鷹山」と敬称無しの挨拶を行った。
米沢新聞はその事に「地元の市長さんとして公を付けた呼称に徹してほしい」と苦言を呈した。
安部市長は常々歴史上の人物に「公」を付けない事が問題となり、ある会で質された時に、『「公」を付けないのが「?」の申し合わせ』と意に介さない答弁を行なった。
◆「公」の意味
「公」には色々な解釈があるが、我国に於いて人名などの下に添えて用いる場合は「敬意を表す語」として認識されている。
確かに、新聞紙面や歴史研究書では「公」を付けないのが通念のようだが、今回の場合、大使・知事共々に尊敬の念の「公」を付けての挨拶の時、歴史研究家の如く「上杉鷹山」と呼び捨てにする安部三十郎市長の、TPO(時と場所、場合)をわきまえない態度は、まさに「歴痴」と呼ぶに相応しい出来事であった。
◆「歴痴」
世に、音楽は好きだが音程や調子が外れて歌を正確にうたえない人がいて、世間ではそれを「音痴」と呼ぶ。
同じように、歴史は好きだが、狂っていて正確に理解出来ない人を、小生は「歴痴」と呼ぶ事にしている。
鷹山公の遺徳は数多く、公の行なう政治に、○下級武士・町民・農民の意見に耳をかたむけた。○質素倹約に努めた。○身分にとらわれない人事を行なった。○困難な事ほど、自らが交渉に当たった。等々あるが、安部市長は鷹山公の真逆の市政を行ない、「歴史は好きだが、狂っていて正確に理解出来ない人」を地で行っている。
小生は「安部市長よ!!今こそ上杉鷹山公に学べ」と声を大にしたい。

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