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公務員だけが仕事じゃない

kage

2004/03/30 (Tue)

 世の中狂ってきたんじゃないかな。高校を卒業する時、就職先を公務員に求めた学友はひとりもいなかったことを覚えている。たったひとつの例外といえば、米沢市が市町村合併前から村役場に在席していた3名が自動的に合併後の米沢市の職員になっただけだ。
多くの学友たちは家業をつぎ農業に従事し、残りは大学に進学していった。

期末を向かえた過日、恒例のクラス会に大方のクラスメートが顔を寄せた。戦後間もない学制改革真っ只中の高校生活だったから、同じ高校に在席しながら第一高校・米沢高校米沢西高校と3度学名が変わったことだった。クラスメートには前市長もいれば元市議会議長や学校長・工学部の教授もいる。政治屋を除けばすべてが酒豪の面々だ。

戦後崩落した社会情勢から勤労学徒が多く、それぞれに選んだ道を歩けたわけではなかった。が、勉学を終えて学校がえりの夜道をカランコロンと足駄を鳴らして帰途する帰り道が級友との語らいができるたった一刻の自由時間だった。二宮金次郎には及びもつかなかったが、わが学友は勤労学徒であった。それは誇らしい青春でもあり、今求めようとして求められない青春時代の輝かしい記録だったと感謝している。

現在は学資に困るような社会の仕組みはない。高校生徒に生活を委ねる家庭もないだろう。われわれの16歳は家庭経済を支えなければという立場にあった。だから農業や家業につけない学友たちは仕事を選ぶ余裕がなかった。さしあたって明日は家族に糊をという時代であったから、仕事があればどんな仕事にも不平はいえなかった。職場の年長者に殴られながら仕事を黙々と覚えていくだけだった。一人前の仕事ができないから給料は無論半人前。それでも母親の哀しむ顔を見たくないばかりに泣き顔や不平不満は言わなかった。頼れるはわれひとりの心境と、われを頼る母がいる。これが励みとなった。そして現在がある。高校生時代に夢みた戯曲作家入りは60歳からの手習いである。せめて青年時代の夢を追うだけのことでいいと集中していたのだが、現在では日本演劇協会の劇作家部門に名をつらねるようになり、日中演劇交流のメンバーとして中国の演劇実情を視察するまでになっていた自分に驚いている。「だからどうなんだ」といわれても私は黙すだけだ。

人の一生は各々が決めることである。自分自身が生きたいように生きればいいことだ。何が良くて何が幸福かは死ぬ時にならないとわからないことだ。人間は魂が美しければそれ以上の何を求めるというのだろうか。

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