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街を彩る矢絣の女性たち

kage

2004/03/25 (Thu)

 久しぶりに真昼の街を歩いてみた。矢耕の着物にエンジの袴姿の女性の姿が目につく。「ああ、短期大学生たちの卒業式だな」と気がつく。卒業式に着物を着る風習はいつ頃からのことであったか記憶にないが、彼女たちが好んで着たがる着物は何故か矢餅の着物に袴だという。大正年間の女学生を舞台にした小説「談雪の下で」(題名が違っているかも知れない)は米沢女学校(現・東高校)に学ぶ女子学生の青雲のこころざしを書いたものだが、NHKの朝のドラマにぴったりの小説である。今日、街で見かけた失耕の学生の婆がオーバラップする。矢餅に袴姿のスタイルは学問を修めようとする女学生たちに限られたスタイルである。が、街の女性たちは何を間違えているのか、たしかに矢絣ではあるが色とりどりの少なくとも清楚とはいえない着物である。手にブーケとも花束ともつかぬ花の包みを持ったその女性たちは、道路の向かい側に知り合いを見たのであろうか、二の腕をたくし上げ大声をあげている。余計なことかも知れないが矢耕袴姿の学生に寄せていた小生のイメージとは異質なものを見たような気がする。だから現代の女子学生には矢絣は似合わないのだ。もっと、心の中に矢耕を着て学問にいそしんだあの青雲のこころざしに回帰してほしいと願ってその場を去った。
米沢市は織物の街で知られ、織物が米沢市の生計を立ててきた。しかし、織物は斜陽であり技術の乏しい街から順次淘汰されていった。西陣織や金沢の友禅は健在である。

米沢市の織物の代表は袴である。小生が先代桂三木肋・柳や小さん一行を呼んだ時に三木肋は寄席芸人から袴の注文を集めてきて猪股織物に依頼して帰ったものである。

米沢市の成人式には、大抵の女性が晴れ着を身につける。その着物はすべて他産地からの調達になる。米沢市民でありながら米沢市内の呉服屋で米沢織りを見ることはできなかったし「米織りだけは着たくない」が米沢市民の合い言葉だった。こんなにも市民に歓迎されない織物産業が伸びるわけがない。と、青年時代から考えていた。適中したがちっとも嬉しいと思ったことはない。日本人であること、学生であることのケジメで着物を身につけてほしいものだ。

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kage


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