キムタコ氏とジャック氏に

2004/03/16 (Tue)
両者の意見は時世をあらわして面白い。市職員のジャック氏の職業観は暗くないかい。資本家の利益第一主義の仕事を否定し、両親の希望もあり地元に就職するならばということで、難関を突破して市の職員におさまっているということだ。ジャック氏が噛み付いたのは「利益第一主義の資本家の仕事が馴染まないから」とのくだりだと考えるが、ジャック氏よ、利益第一主義と資本家を決め付けるのは卑屈にとれて若者らしくなくて哀しい。青年会議所のメンバーにおよんで彼らを勉強しなくても親の七光で遅滞なく生活ができると羨んでいる。しかも、前市長のコネで市役所の職員になったバカどもが6Fに屯していると指摘して侮蔑しているようだ。氏は80倍の競争を経て市の職員になったという思い上りが見え隠れする。ジャック氏よ「だからどうなんだ」と私は老婆心ながら聞きたい。世の中斜めから見ちゃだめだ。顔をあげて堂々と正面を向いて歩きだすことだ。君のような考えはすくなくとも米沢市民の公僕にふさわしいとは到底おもえないよ。もっと自重すべきだ。
キムタコ氏の意見は正常な感覚の持ち主ならだれもが持っている正論だよ。「君はいったい市役所の職員として何をやりたいのだ」のツメは泣かせるセリフだ「勉強とは世の中の仕組みを知り、自分が社会の役に立つにはいかなるボジョンを選ぶべきかで、単に市役所に入るためにするもんじゃねえ」いい啖呵だよ。
ジャック氏へ。君はきみが選択した職場で公僕たるにふさわしい仕事を命がけでやったらいい。キムタコ氏よ、公務員と市井の勤め人とは根本的に職業に対する考え方が違っていると思うよ。まず、給料の出どころが違うじゃないか。歴史的にみても税金に頼って暮らしてきた人たち「公卿や大名族」近代では「役人・官僚」らが考えることは、予算に陰りが出た場合はすぐに租税を上げることを考え、自分達の経費を削減することは考えないものだ。それが今でも継承されているという具合だ。いい例が3月の公務員たちの購買意欲だ。予算を使いきるために悪知恵を絞る季節到来だ。民間ならば与えられた仕事を完璧にこなした上で、いかに予算を浮かすかが問われる能力というものだ。ここが役所と民間の根本的に違うところだ。
乱暴な表現になるが、役人というのは市民を自分達より低い者扱いするものだ。まず威張りたがる。そのために許認可を握ることを喜びとする。何度も何度も市民に足を運ばせることを何とも思わないし、むしろ快感とさえ受け取れる場面がある。人間は弱い動物だから、権力をもって身の保全を考えたがるものだ。社会にかぎらず家庭でもそうであろう。さらに申せば、士農工商の時代に事実上、経済活動によって社会を動かしてきた商人たちが、歯軋りしながら耐えてきた商人たちの気概こそが近代社会の基盤となってきたことをもう一度考えて見よう。

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