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いやな時世になりやした(その2)

kage

2004/03/12 (Fri)

 「カラスは朝になっても、夜を着ている-」こんな書出しではじまる詩がある。 カラスは即座にコトバを返す。「中身のみすぼらしさを隠すようにケバケバした化粧して着飾る姿は母親の仮面じゃねえだカアッー」  
近年、恐ろしいコトバが取り沙汰されている「女性から母性本能が喪失してしまったのか、それとも女性にはもともと母性本能などは存在しなかったものか」論議は続けられるであろうが、人間も動物であるかぎり動物の生態から学ぶ以外に手はないだろう。確かに動物界を見るかぎり、親が子育てにかぎり全身全霊を子供の育成のために子を外敵から保護し、食物を探して求めて与えている様子が理解できる。しかしいつまでも子供を親の庇護のもとに置かないところに人間との違いがある。人間はいつまでも親と子の関係が甘いようだ。人間といえどもある時期には独立するという精神を養っておく必要がある。独立精神を阻害しているのが実は母親なのだ。母親にとって子供は未来永劫子供であり、成長しても臍の緒がどっかで切れないでいる。それが子供にはウザッタイ負担となる。本来、子供は自立するものである。自立精神を遅らせているのは案外母親の経験主義からきているフシが感じられる。「末は博士か大臣か」という親の願いがあるかぎり子供は負担に虐げられることになる。そこが母親の気づいていないところだ。子供は本来強制された勉強よりは遊ぶことが似合うものだ。学校の宿題よりマンガ・アニメに没頭したいものだ。「よく遊び、よく学ぶ」が正解であり「学ぶこと」を先に望むのは子供失格であり、むしろ危険性を感じる。「母親の幼児殺し」「子供や孫に殺される親」などのニュースが連日報道される世の中だ。この現象は今後も続くであろうが、日本の親子関係の甘えの構造からきていると思われる。子供は自分の手で食べられる方法を身につけた時が成人なのだ。親はその日を子供が見つけるまでの教育に撤するべきだと考える。子供がいつまでも幼児性から抜け切れないでいるのは親の子育てに問題がある。幼児期は体罰を加え性格なりを矯正する時期なのだ。子供はペットじゃない。子供が可愛いのは自分だけのことじゃない。可愛い子供だから、時には叱咤して家の手伝いもさせ、外に出して遊ばせることだ。「遊ぶ時間を勉強に」こんな親から子供は心の中で離れたがっているのだ。勉強づけのあげく有名大学に入学、優秀な成績で卒業、めでたく官僚となったまではいいが、成長期に学んでこなかった敗者の劣等感などの痛みを知らないだけに「常にまず我ありき」だから、社会の善悪にさえ麻痺した精神状態がつづく。日本人を代表するような優秀な頭脳をもつ官僚が考えることは「まず、我ありき」なのだ。だから不条理な税金の無駄使いはする、足らなければ税金をあげれば事は済むという考え方が変わらないのだ。犯罪人を取り締まるはずの警察官僚ですら、自らが税金を裏金と称して懐手してはばからない国は何も日本だけのことではないとしても、立場上 恥辱感や使命感は育っているべきであろう。たまたま検挙される警察官といえば、セクハラの類でゴミにひとしい。締めあげ、検挙すべきは警察官僚の悪事にある。  

 日本人はおとなしい国民性だと馬鹿にされている有様だ。国民よ!心から怒るべき時だ!心に銃をもって、不条理な世情を撃つべき時だ。永田町界隈のカラスは見かけはシロだが、一皮むけば中身は黒衣裳。まさに日本国は滅びの途上にある。

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