法律は官僚のおもうままに

2004/02/26 (Thu)
この国の法律は誰がつくるのか。国民でもなく政治家でもない。と、なると官僚か? 地味な法律にひとつふたつ分言を加えたり引いたりすることで役人は国の枠組みとなる法律の趣旨を、骨抜きにしたり違えたりする。法改正に当たっては審議会や公聴会の報告の精神を尊重すると言いつつ、法案のたたき台に、まるで一滴の毒薬を混入させるかのように、それまで議論さえされなかった文言をそっと滑りこませるか、あるいは削る。
その文言は劇的に法律の中身を変えてしまうのだ。
一旦成立した法律は、その後何十年にわたり社会の枠組みとなる。役人のそうした賢しらによって、日本はますます官僚による官僚のための国家になり果てていく。「98年2月に新しい法律の制定要綱を見た時愕然としました」と言うのは弁護士の光石忠散氏である。
「我々の出した報告書と内容的に断絶しているとさえ感じられたからだ。法案は、我々の報告書に沿って準備されているとばかり思って、我々は安心していたところだが、突然この驚くべき要綱が出てきたんです。
有志が連名で厚生省に訴え上申書を出しましたが返事はなかった。そして閣議決定、参議院の審議入り、わずか3回の審議で法案は通ったのだ」委員たちは隠れ蓑に使われただけで、事実「十分な論議」ののち国会審議に委ねるというのは、官僚の意を貫くための典型的な戦術なのだ。すべては官僚の思うままに法律がつくられていくということだ。
それにしても、法律をつくる時、専門家による審議会をつくり、十分に議論させて関係者を一応納得させ、いざ法案提出という段階ではじめて、官僚が作成した似ても似つかぬ法案が提出されるというケースがあまりにも多いのだ。
たとえば総務庁は国民の代表である政治家に原案を隠しながら、その一方で自らの仲間である官僚たち、各省庁には原案を示して意見を聞き念入りに根回しをする。こうして法律は官僚の思うままにつくられていくのだ。したがって法律は国民のためにつくられるものでなく官僚に都合の良いようにつくられていくのだ。
かつて私は米沢市のある部門の諮問委員に選ばれたことがあった。はじめの会合で数10ページもの書類を渡されこれで諮問せよと市職員が言う。そこで「これだけの諮問する書類があるのであれば、目を通す時間がほしい。いまこの場で読破して意見を求められても出来ない相談だ」として、次回から会合には出席せず諮問委員を辞退した。
役人のやることはいずこも同じで、いかにも広く各分野からの意見を集約したようなパフォーマンスで責任を回避しようとする。はっきり言えることは、役人が企画した通りに運営できるよう諮問委員の指名選択はイエスマンだけに限られているということだ。

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