清里から消えた六本木の怪

2004/02/21 (Sat)
かつて美術館運動を行なっていた12年間の中で2度市民の有志と清里を訪れたことがあった。清里は長野県境にそびえる八ツ岳の麓にあって高原野菜で知られる野辺山がすぐ隣村である。戦後、引揚者が開拓した高原地だ。
人里遠く離れたその地は高原列車で名高い清涼な地で、山また山の中に東京の六本木かと見まがうような若い女性向きの都会が目前に展開する。
街の周りには百恵夫妻経営のペンションをはじめ欧州風に彩られたペンション群が取り囲んで、若者にはとっておきのパラダイスだったといえるだろう。
当時は無論若者たちに交じって観光客でゴッタ返しする繁盛の地だった。
あれから10年を経て、テレビは商店街の無残な残骸を映し出していた。その原因を報道は伝えなかったが、バブル期の落とし物であったろうと推測しているが。
見た目はいかにもカラフルだが、原色の強い底の浅い商品だけの羅列だったように思う。南太平洋の島々では原色も映えるだろうが、やはり高原では中間色が似合うような気がしていた。
同行した人たちは買物好きな人が比較的多かったものの此処での買物はなかったようだ。場所を考えた商品の選定の難しさを乗り越える英知がその街を繁栄させる基礎なのであろう。

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