よき市民の第一の義務は必要なときに怒ることである。

2004/01/28 (Wed)
そして行為によってその怒りを示すことである。と続く金言は、英国の政治家ジェームス・プライスの言葉である。日本は明治維新を最後にクーデターの起こりにくい国家とされてきた。長年にわたり日本国民は縦割りの社会に慣れ親しんできたことから、官僚・役人を信じる心根が存在している。しかし、戦後半世紀を経て、縦割り社会の矛盾が各所・各分野で見られるようになってきた現況では、これらを起爆剤とした国民運動が起きる予感が走る。公務員と国民の待遇の格差。官僚の横すべり、政治家のダブル年金支給などなど。いままで国民に知らされていなかった部分が明るみに出るにつけ、これが民主主義の実態なのかと国民の震えがとまらない。爵位の制定で身内の安泰を計った薩摩勢、偏執組閣を長州勢が固め、警察の実権を土佐勢にと勝者連合の政治体制だったことは周知の事実だ。新政府が発布した期待の「5カ条の御誓文」は発布とともに廃棄されている。郷土の志士雲井龍雄は、こうしたまやかしの明治政府を弾劾せんと同志とともにクーデターを起こそうとした英傑だ。龍雄ならずとも全国各地に明治政府を倒し、新らたな政府を興そうと動いた人物がいた。国民期待の新政府がいかにまやかし人物たちによって編成されたか、そして新政府によってどれだけ縛りがきつくなったか、そのへんのくだりを島崎藤村は「夜明け前」で語っている。
なぜに部落の長たる青山半蔵が新時代のおとずれとともに狂乱した死をとげたのか、時代の変わり目を生きた木曽馬籠宿を舞台に描かれている。
時代は明治から150年。平成の世も明治新政府の悪癖をそのままに写し、暮らしの差は官尊民卑に変わりはない。米沢市役所職員退職者の行く先はすべて安穏暮らせる行政の出先機関で、しかも責任を問われない職場だ。
彼らは自分の間違いを認めようともせず、すぐに税金から損失補填を考え、管理能力の欠如を認めないまま、臨時とはいえ同僚の使込みを個人の犯罪だとして、その時点から同僚意識と絶縁する手際のよさ。前高橋市長市政で起きた犯罪に高橋幸翁前市長のコメントは無しで良いか? 本欄掲示板にコメントを寄せられた「スミレちゃん」が云うように高橋市政では握り潰されていたかも知れない市役所の「爆弾」がこれからもゾロゾロ出てくるかも知れない。
いまこそ市民が怒りを感じ行動すべき時であろう。怒りを単なるクドキに止めておく米沢市民は忍耐強い市民であるか、無知無能な市民であるか。または縦割り社会の「上意下達」に適した市民なのかも知れない。こんな米沢の環境では青雲を志す若き有能な人物を放出するだけの街になるではないか。人間は怒らねばならない時に、行動で示さればならないのだ。

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