松はみな枝垂れて南無観世音 山頭火

2004/01/06 (Tue)
イスラムの強大な宗教観念に世界中が畏怖している。宗教の生活密着度合の強さの違いがそうさせるのであろう。が、日本的な宗教観念からすれば簡単に時代錯誤と言い切れるものでもあるまい。仏教に支えられてきた日本的精神風士が神風特攻隊として自爆の歴史を刻んできたからだ。宗教は往々に権力者や為政者によって殺戮を正当化する道具として利用されてきた。したがって目に見えない「神」の存在こそは、為政者によるマヤカシの催眠術だと思っている。さて、わが国の宗教はといえば仏教であろう。「神」ではなく「仏」すなわち祖先わが誕生のルーツではなかろうか。狂信的な仏教徒もなく、生活に密着している部分といえば葬儀と戒名へのこだわりくらいなもので特別の感慨はない。静かな宗教観である。突如として「神」の存在が意識されるのは元旦の宮詣りぐらいなものだ。
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